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恵美須ヶ鼻造船所跡

恵美須ヶ鼻造船所跡

山口県萩市にある萩藩(長州藩)が洋式帆船を建造した造船所跡が、恵美須ヶ鼻造船所跡(えびすがはなぞうせんじょあと)。数少ない西洋式造船所の遺構で、経済産業省の近代化産業遺産、そして世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産にもなっています。

萩藩が幕末に洋式軍艦を建造した造船所の跡

恵美須ヶ鼻造船所跡(Ebisugahana Shipyard)山口県萩市(Hagi City,JAPAN)

慶長14年(1609年)、徳川秀忠は、諸藩の500石積み以上の軍船と商船を没収し、水軍力を制限する大船建造の禁を出していますが、江戸時代後期になって、海防の必要性が高まったため、嘉永6年(1853年)、大船建造の禁を撤回。
安政3年(1856年)、萩藩(長州藩)は洋式造船技術と運転技術習得を目的に、下田沖で難破したロシアのフリゲート「ディアナ」船員帰国用に戸田村で建造された「ヘダ号」を参考に、西洋式帆船の君沢形帆船(スクーナー船)を製造した伊豆・戸田村に船大工棟梁・尾崎小右衛門を派遣。
尾崎小右衛門は、スクーナー船建造にあたった高崎伝蔵を招聘して萩に戻り、萩の海岸に小畑浦の恵美須ヶ鼻に軍艦製造所を建設することを決定したのです。

最初に導入されたのはロシア式の技術で、大板山たたら(大板山たたら製鉄遺跡として世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産)の鉄を使って萩藩最初の洋式軍艦「丙辰丸」(へいしんまる/全長25m、排水量47t、スクーナー船)を建造。
続いて長崎・出島経由でオランダ式の技術を移入し、万延元年(1860年)には2隻目の洋式軍艦「庚申丸」(こうしんまる/全長43m)を造船しています。

竣工した「丙辰丸」は長州藩の軍艦として配備され、練習艦として使用された後、下関戦争でアメリカ軍艦「ワイオミング」の砲撃を受け、撃沈。
下関戦争後に復旧工事を受けて再就役し、第二次長州征討の艦砲射撃、戊辰戦争の長州藩兵輸送でも使われています。

恵美須ヶ鼻造船所跡は、2つの異なる造船術が一つの造船所で確認できる唯一の造船所として貴重な遺跡で、当時の規模のままに石造堤防が現存。
往時には陸側に絵図木屋(原寸大の図面を起こす施設)、蒸気製作小屋(蒸気で木材を曲げるための施設)、スクーネル打建小屋(船の組み立てを行なうドック)、切組小屋(製作した部材を組み立てる場所)、網製作木屋(船のロープを作る施設)、大工居屋、高崎伝蔵居処・大工居処、木引木屋、会処などが建ち並んでいました。

世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産で萩市内にあるのは恵美須ヶ鼻造船所跡のほか、萩反射炉、松下村塾、萩城下町、大板山たたら製鉄遺跡の5ヶ所です。

恵美須ヶ鼻造船所で建造された「丙辰丸」
恵美須ヶ鼻造船所跡
名称 恵美須ヶ鼻造船所跡/えびすがはなぞうせんじょあと
所在地 山口県萩市椿東5159-14
関連HP 萩市観光協会公式ホームページ
電車・バスで 萩循環まぁーるバスで萩しーまーと下車、徒歩15分
ドライブで 中国自動車道山口ICから約46km
駐車場 あり
問い合わせ 萩市世界文化遺産室 TEL:0838-25-3380
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

萩反射炉

萩市街の北東、国道191号沿いの丘陵地に建つ萩反射炉。幕末の安政3年(1856年)に長州藩が大砲を造るために建設した反射炉(西洋式の金属溶解炉)で、近世の反射炉としては静岡県韮山とここにしか現存しない貴重なもの。世界遺産「明治日本の産業革命

松下村塾

萩城下の松本村(現在の萩市椿東松本)は、明治維新の精神的指導者として知られる吉田松陰(よしだしょういん)の実家、杉家があった場所。吉田松陰の叔父である玉木文之進(たまきぶんのしん)が天保13年(1842年)に開いた私塾・で松下村塾(しょうか

大板山たたら製鉄遺跡

山口県萩市の山中にある日本の伝統的な製鉄方法であるたたら製鉄(砂鉄を木炭で燃焼し鉄を得る方法)の遺跡が、大板山たたら製鉄遺跡。生産された鉄は西洋式軍艦建造に使われており、世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資

 

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