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小野田セメント徳利窯

小野田セメント徳利窯

山口県山陽小野田市にある明治16年に築かれたセメント焼成用の窯が、小野田セメント徳利窯。明治14年に笠井順八が殖産興業の目的で興した日本最初の民間セメント会社・セメント製造会社(小野田セメント)に造られた最初の4基のうちの1基で、セメント焼成窯としては唯一現存する窯で、国の重要文化財に指定。

ヨーロッパでボトル窯と呼ばれた徳利窯が現存

徳利のような形をしていることから、徳利窯と呼ばれていますが、正式には竪窯(たてがま)。
18世紀にイギリスで生まれた昇炎式の窯で、ヨーロッパではBettleKiln(ボトル窯)と呼ばれています。

現存する徳利窯は、明治30年頃に焼成容量増加を目的として一部改造され、明治32年まで使用され、ドイツから導入されたディーチュ窯(Dietzsch Kiln)に代わっています。
焼成部分と煙突部分からなるレンガ建築で、高さは、焚口底部から17.8mもあります。

徳利窯が使われたのは、当時のセメントの製造方法が、イギリス式の湿式法だったから。
レンガの焼成に使われるホフマン式輪窯も明治22年にドイツから輸入、乾式法でもセメント製造が試みられましたが、満足のできる製品が生まれなかったため、徳利窯のみの製造となり、最盛期には12基の徳利窯が稼働していました。

明治31年にはドイツ留学から帰国した創業者・笠井順八の次男、笠井真三がディーチュ窯2基を試験的に導入、さらに明治33年に8基が増設され、焼成時間の大幅な短縮(7昼夜から8時間に短縮)により生産性が上がったため、徳利窯の運用が停止したのです。

明治36年には深川の浅野セメントに日本初の回転窯が設置され、セメント製造は回転窯へと変わっていったのです。

ちなみに、日本初の民間セメント会社・セメント製造会社は、明治24年に小野田セメントとなり、平成6年、秩父セメントと合併し秩父小野田となり、さらに平成10年、官営深川セメント製造所・浅野セメントの流れの日本セメントと合併、日本最大のセメントメーカー、太平洋セメントになっています。

小野田セメント徳利窯
名称 小野田セメント徳利窯/おのだせめんととっくりがま
所在地 山口県山陽小野田市小野田6276
関連HP 山陽小野田市公式ホームページ
電車・バスで JR南小野田駅から徒歩5分
ドライブで 山陽自動車道小野田ICから約6km
問い合わせ 太平洋セメント小野田工場 TEL:0836-83-3331/FAX:0836-83-2011
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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小野田セメント山手倶楽部

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