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芭蕉・清風歴史資料館

芭蕉・清風歴史資料館

山形県尾花沢市にある『奥の細道』で10日間滞在した松尾芭蕉の足跡を紹介する資料館が芭蕉・清風歴史資料館。建物は旧丸屋・鈴木弥兵衛家の店舗と母屋(江戸時代末期の中門造りの酒屋)を、豪商・鈴木清風(島田屋・鈴木八右衛門)の邸宅跡の隣接地に移築したもの。

鈴木清風と芭蕉の交流、尾花沢の紅花文化を学ぶ

鈴木清風(3代目鈴木八右衛門)は金融や最上川舟運を使って京などに運ばれた紅花などで財を成した豪商で、俳諧を通じて江戸で芭蕉と親交を深めています。

元禄2年5月17日(1689年7月3日)、『奥の細道』途中で尾花沢を訪ねた芭蕉は、「尾花沢に清風といふ者を尋ぬ。かれは富める者なれども、志卑しからず」と、山刀伐峠(なたぎりとうげ)を越え、昼過ぎに旧知の鈴木清風(3代目鈴木八右衛門)宅に到着。
10日間の長きに渡り尾花沢に滞在(気兼ねなく長旅の疲れをいやしてもらおうという、清風のはからいから養泉寺に延べ7泊)、日待(ひまち)、庚申待(こうしんまち)などの行事を体験しています。

館内には『奥の細道』に関する資料を多数展示し、尾花沢の往時の暮らしや歴史に関する資料も収蔵しているため、尾花沢の歴史に関連する企画展・特別展も開催されています。

鈴木清風と芭蕉の交流の背景には最上川の舟運で運ばれた紅花の存在も。
羽州街道の宿駅・尾花沢は、最上川舟運の要所・大石田に隣接していることから紅花の集散地として大いに栄えていたのです。
鈴木清風も本業は「島田屋」という商家の3代目で、「紅花大尽」と呼ばれていたのです。

元禄11年(1698年)の夏、紅花の商いに江戸に上った清風を、江戸の商人たちは、清風を田舎商人とみなして不買同盟を結んで妨害しますが、清風は智略でこれを打ち破り、3万両の利益を得ますが、「尋常の商売で得た金ではない」ことから、吉原を3日3晩貸し切りにし、遊女たちに休暇を与えたという豪快な話が残されています。

芭蕉・清風歴史資料館は、日本遺産「山寺と紅花」の構成資産にもなっています。

芭蕉・清風歴史資料館
名称 芭蕉・清風歴史資料館/ばしょう・せいふうれきししりょうかん
所在地 山形県尾花沢市中町5-36
関連HP 尾花沢市公式ホームページ
電車・バスで JR大石田駅から山形交通バス尾花沢行きで8分、終点下車、徒歩15分
ドライブで 東北中央自動車道東根ICから約25km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 芭蕉・清風歴史資料館 TEL:0237-22-0104
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

山刀伐峠

山形県最上郡最上町と尾花沢市の境に位置する標高470mの峠が山刀伐峠(なたぎりとうげ)。最上地区と尾花沢を結ぶ山越えの古道で、『奥の細道』で松尾芭蕉もこの峠を越えて山寺へと向かっています。かつては難所といわれ、当時は案内人をたてても迷うほど

養泉寺

山形県尾花沢市にある天台宗の寺、養泉寺。本尊の聖観世音菩薩は、最澄に師事した円仁(えんにん=慈覚大師)作と伝えられています。『奥の細道』の途中、尾花沢で紅花取引で財を成した鈴木清風(鈴木八右衛門)を訪ねた芭蕉は、10泊を尾花沢で過ごしていま

 

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