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日和山公園

日和山公園

山形県酒田市、最上川河口にほど近く、酒田港を望む日和山公園。天候や海の様子を伺うといった、いわゆる日和見(ひよりみ)のために格好な丘陵地を一般的に「日和山」と呼んだことから、全国各地に日和山が存在しますが、この日和山公園もそのひとつ。北前船の寄港地・酒田の歴史を伝える公園で、日本の都市公園100選にも選定。

北前船の歴史を今に伝える都市公園

日和山公園の標高は低いものの、表面には12支に東西南北の文字が刻まれた方角石(方位石)などの遺構が残されており、北前船の貴重な遺構となっています。
寛政6年(1794年)にはあったとされる御影石製の方角石(現存する日本最古の方角石)のほか、現存する木造洋式灯台としては日本最古級ともいわれる木造六角灯台、2分の1のスケールで再現された千石船、文化10年(1813年)築造の常夜灯などが移築されていますが、いずれも航海安全のためのもので、北前船で栄えた港町ならではの史跡。

最上川の河口に位置する酒田港(酒田湊)は、上流から小鵜飼船に積まれて米、木材、そして紅花が送られ、北前船で西国、京へと運ばれました。

北前船(西廻り航路)の礎を築いたのが、伊勢に生まれ江戸で財を成した豪商・河村瑞賢(かわむらずいけん)です。
寛文12年(1672年)、幕府の命を受けた河村瑞賢が、日本海沿岸に寄港地を定め西廻り航路を開いたことで、天領(最上川流域)の年貢米が御城米船を使い、下関、大坂を経て、江戸まで回漕が可能となったです。
御城米船には幕府の御用船であることを示す「日の丸」の旗が掲げられていました。
つまりは、最上川流域に14万石ほどの天領があったことを背景に、河村瑞賢は西廻り航路を建議したわけです。

この西廻り航路の発展で、酒田の町は「西の堺、東の酒田」と称されるほどに隆盛。
日和山公園西端には河村瑞賢の命で作られた御城米倉庫「米置賜」(瑞賢蔵)があったといい、現在はその米倉庫跡に「米」という文字をモチーフにした、高さ2mの記念碑が立てられています。
河村瑞賢の銅像が立つのも、酒田はゆかりの地筆頭であるからにほかありません。

日和山公園には210本の桜が植栽され(周辺を合わせて400本)、『酒田日和山公園桜まつり』が開催され、花見で賑わいます。

『奥の細道』途中、酒田に合計9泊した芭蕉

元禄2年6月13日(1689年7月29日)、最上川を下り、清川から陸路鶴岡を経て酒田に入った芭蕉は、伊東玄順(不玉)邸で2泊した後、遊佐、象潟(きさかた)へ。
元禄2年6月18日(1689年8月3日)、象潟から舟で酒田に到着した松尾芭蕉は、旅の疲れもあったのか、繁栄する酒田の町で伊東玄順(不玉)邸などに宿泊。
当時北前船で栄えた豪商・近江屋三郎兵衛邸での夕涼み会にも参加し、6月25日(新暦8月10日)に出立するまで7泊も逗留しているのです。
日和山公園には、象潟から酒田への船中で詠んだと推測される天明8年(1788年)建立「温海山や吹うらかけてゆう涼」の句碑が立っています。

名称 日和山公園/ひよりやまこうえん
所在地 山形県酒田市南新町1
関連HP 酒田観光物産協会公式ホームページ
電車・バスで JR酒田駅から徒歩25分
ドライブで 日本海東北自動車道酒田ICから約8.3km
駐車場 63台/無料
問い合わせ 酒田市都市計画課 TEL:0234-26-5745
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

日和山公園木造六角灯台

山形県酒田市の都市公園、日和山公園に移築された木造六角灯台。もとは最上川左岸河口の宮野浦に北前船で賑わう明治28年10月20日に建てられた酒田灯台(宮野浦灯台)で、後に対岸の大浜に移転。さらに昭和33年に近代灯台が完成したため、明治の洋式灯

 

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