韮崎段丘の中央にこんもりと盛り上がった王仁塚(わにづか)。塚の中央に樹齢約300年のエドヒガンザクラの巨木があり、例年、山高の神代桜と同じ時期(4月上旬頃)に見頃を迎えています。以前はあまり知られていませんでしたが平成15年にフジテレビ系で放送された『僕の生きる道』のロケに使われて注目されるようになりました。
古代の塚に咲くエドヒガンザクラの巨木
八ヶ岳を借景に見事に咲く一本桜。
例年3月下旬〜4月上旬の開花期には、桜のライトアップも実施されています。
山高の神代桜(樹齢1800年〜2000年)は日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折に植えたという伝説がありますが、王仁塚は、日本武尊の皇子・武田王(たけたのきみ)の墓とする説もあり、近くにある武田八幡宮は、武田王の御殿の跡という伝承もあって、何やら峡北は古代史のロマンがぷんぷんと・・・。
塚の形が鰐口(仏堂・神殿の前に掛け、つるした綱で打ち鳴らす道具)ににているので「鰐塚」といわれるようになった(『甲斐国志』に「芝間十五間二十間塚ノ形神前ニカカル鰐口ニ似タルヲ以テ」と記載)ともいわれています。
『日本書紀』に記述される王仁(わに)は、応神天皇の招聘で百済から来日した学者。
百済に渡来した中国人で、313年に高句麗が楽浪郡を滅ぼすと百済に亡命し、その後日本にやってきたと推測されていますが定かでありません。
巨摩(こま=古代には巨麻)郡は高麗(こま=朝鮮半島にあった王朝)に通じることから高句麗滅亡時(668年)に、やって来た渡来人説を唱える人も多いのです。
また、渡来人が定住したことが判明している河内国大県郡巨麻郷や若江郡巨麻郷も「巨麻」で、山梨県の巨摩郡も古代には巨麻郡だったことから、高句麗滅亡時に渡来人がやって来て、馬(駒)を飼育したことはほぼ疑いがないように思われます。
(古代には真衣野牧、穂坂牧、柏前牧の三御牧が設置されていました)
ただし、王仁塚と渡来人・王仁との関係はまったく判明していません。
王仁塚の桜 | |
名称 | 王仁塚の桜/わにづかのさくら |
所在地 | 山梨県韮崎市神山町北宮地624 |
関連HP | 韮崎市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR韮崎駅からバスで武田八幡入口下車、徒歩5分 |
ドライブで | 中央自動車道韮崎ICから約6km |
駐車場 | 70台/無料(開花期に臨時駐車場を開設) |
問い合わせ | 韮崎市観光協会 TEL:0551-22-1991 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag