山梨県富士吉田市上吉田、北口本宮冨士浅間神社の背後にある小高い丘が、大塚丘(おおつかやま)。日本武尊(やまとたける)が東征のおり、神社近くの大塚丘から富士を遥拝したのが起源と伝えられるのが、北口本宮富士浅間神社で、その始まりとなる聖なる丘、富士山北麓における富士山信仰の源ということに。
日本武尊が富士山を遥拝したと伝えられる富士山信仰の霊地
北口本宮富士浅間神社は、世界遺産富士山(「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」)の構成資産のひとつで、富士山に登る吉田口登山道の起点。
北口本宮富士浅間神社の社記には、日本武尊が東征の際、相模国(さがみのくに=現・神奈川県)の足柄坂本から甲斐国(かいのくに=現・山梨県)に入り、行宮として設けられた酒折宮(さかおりみや=現・甲府市酒折)に向かう途中、丘に登りの霊峰・富士を遥拝したと記されています。
日本武尊の東征は、景行天皇40年とされていますが、西暦に治すと110年ということで、弥生時代後期のことなので、まさに神代の昔(かみよのむかし)。
実際には延暦7年(788年)、甲斐国守・紀豊庭(きのとよひろ)が神社を創建する以前に、富士山を遥拝する地だったということだろうと推測できます(表富士側でも山宮浅間神社がかつて富士山本宮浅間大社があった地とされ、富士山の遥拝地があります)。
1500年前に流れ出た溶岩の末端に山宮浅間神社の遥拝所が建てられ、1万年近く前の別の溶岩流の末端に富士山本宮浅間大社が鎮座という具合に、富士山の噴火を鎮めるという意味合いから、浅間神社は富士山の溶岩流の末端にあることが多く、大塚丘もそのひとつです。
承平7年(937年)の剣丸尾溶岩流は、はるか先まで到達しているので、有史以前の爆発の溶岩流ということに。
弥生時代に中の茶屋火口(中の茶屋上部標高1300m付近の側火山)から中ノ茶屋溶岩流が流出しているので、その溶岩流との関係があるのかもしれません。
北口本宮冨士浅間神社境内の裏手にあるのが、吉田口登山道の起点となる「登山門」をくぐり、祖霊社の脇を抜けると舗装された車道に出るので、そのまま「富士山 吉田口登山道→」の表示のままに進めば5分ほどで大塚丘です。
丘上には日本武尊が祀られていますが、残念ながら、周辺に木々が生い茂り、富士山を眺めることができません(大塚丘のヒノキは、富士吉田市の天然記念物に指定)。
丘の中心部に山頂を背にして浅間明神を祀る石祠もあるのでお見逃しなく。
吉田口登山道を進めば、中の茶屋を経て馬返しまでは舗装道路となっています(車の通らない吉田口遊歩道が別に用意されています)。
大塚丘 | |
名称 | 大塚丘/おおつかやま |
所在地 | 山梨県富士吉田市上吉田5619 |
ドライブで | 中央自動車道河口湖ICから約2km |
駐車場 | 北口本宮冨士浅間神社駐車場(150台/無料)を利用 |
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