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津島神社

愛知県津島市に鎮座する津島神社は、社伝によれば540(欽明天皇1)年創建という古社で全国に3000ある天王社(牛頭天王・スサノオノミコトを祭神とする祇園信仰の神社)の総本社。祭神は、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)で疫病、厄難除け、医療、殖産興業にご利益大。桃山時代の雰囲気を伝える社殿は必見の価値があります。

全国3000の天王社の総本社で本殿は国の重要文化財

神仏混淆の江戸時代には津島牛頭天王社(つしまごずてんのうしゃ)と称し、伊勢参りの帰りには必ず参拝するという習わしがありました。

「尾張造」(おわりづくり)と呼ばれる「本殿」と豊臣秀吉の寄進の楼門は国の重要文化財。
ほかの社殿も多くは愛知県の文化財の指定を受けています。

5歳で隣接の勝幡城(しょばたじょう/稲沢市平和町=織田信長が生まれたと推定される城)の城主となった織田信長は、津島神社を氏神と尊崇し、津島湊の交易を抑えて天下布武への道のりを築きます。
信長の信仰は部下の秀吉にも引き継がれ1591(天正19)年に楼門(国の重要文化財)を寄進し、 1598(慶長3)年には、その子・秀頼が秀吉の病気平癒を祈願して南門(県の文化財)を寄進しているのです。

江戸時代に、伊勢参り(おかげ参り)が大ブームとなると、その途中で津島神社に寄り道するという人が増えていきます。
「伊勢、津島、いずれかけても片参り」といわれるほど、津島神社は多くの参拝者を集めていました。

本殿(国の重要文化財)は、1605(慶長10)年清洲城主・松平忠吉(徳川家康四男)の病を憂えた妻・政子の寄進。
藩政時代には尾張徳川家の尊崇も受けて繁栄しました。
疫病・厄難除け、夫婦円満・良縁のご利益は有名。
ペット同伴での参拝は、抱きかかえてのみOK。

『津島天王祭』(尾張津島天王祭の車楽舟行事)

7月の第4土曜の提灯祭を中心とする3ヶ月間に「日本三大川祭り」(大阪天満宮の天神祭、宮島・厳島神社の管絃祭)のひとつ『津島天王祭』が斎行されています。

織田信長も楽しんだ『津島天王祭』ですが、もともとは、疫病が起こりやすい夏場を無事に過ごそうと祈願する祭礼で、中世に尾張国随一の貿易港だった津島湊の繁栄を背景にした、津島衆の威勢の良さを今に伝えています。

天王祭車楽舟行事(「尾張津島天王祭の車楽舟行事」)は、国の重要無形民俗文化財、そして「山・鉾・屋台行事」のひとつとして、ユネスコ無形文化遺産に登録。

7月第4土曜日の「宵祭」とその翌日に行なわれる「朝祭」がクライマックスで、「宵祭」では、500個余りの提灯を灯した巻藁舟(まきわらぶね)が、津島笛を奏でながら天王川を漕ぎ渡ります。

「朝祭」には津島神社の5艘に愛西市佐屋地区の「市江車」が先頭に加わり6艘の車楽船が能人形(能の出し物をかたどった人形)を飾り、楽を奏でながら漕ぎ進みます。

その様子は、歌川広重 『六十余州名所図会』にも描かれています。

広重『六十余州名所図会』尾張 津島天王祭り
津島神社
名称 津島神社/つしまじんじゃ
Tsushima Shrine
所在地 愛知県津島市神明町1
関連HP 津島神社公式ホームページ
電車・バスで 名鉄津島線津島駅から徒歩12分
ドライブで 東名阪自動車道弥富ICから約7km
駐車場 100台/無料
問い合わせ 津島神社 TEL:0567-26-3216/FAX:0567-26-2005
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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