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岩崎城跡(岩崎城歴史記念館)

岩崎城は尾張国の東端を守る信長の父・織田信秀が築城した織田氏の支城。その後丹羽氏の居城となり、羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄(信長の二男)の連合軍が戦う小牧・長久手の戦いの激戦地となっています。模擬天守は、岩崎城歴史記念館で、往時に天守はなかったと推測できます。

小牧・長久手の戦いの激戦地

内部が資料館となった模擬天守
往時の濠が現存
清洲城主・織田信雄は、本能寺の変後、秀吉が信長の後継としての地位を固めることに不満を抱き、当時、浜松城主だった徳川家康に援軍を求めます。
犬山城に布陣した羽柴勢に対し、家康は小牧城に本陣を置きます。

両軍が対峙して膠着するなか、羽柴方の武将・池田恒興(いけだつねおき)は岡崎城下に放火しようと犬山を離脱し岡崎へと出陣。
それを迎え撃つ丹羽軍。岩崎城には200余名の将兵しかおらず落城となります。

戦自体は徳川・織田軍の勝利に終わり、丹羽氏次(にわうじつぐ)はこの戦と関ヶ原の戦いの貢献で1万石の大名へと出世。

岩崎城は関ヶ原合戦後、丹羽氏が大名となって三河国上伊保村(現・豊田市保見町)の伊保陣屋に移ったため廃城となりますが、その後、竹藪などとなって土塁などの遺構が守られ、昭和62年に岩崎城歴史記念館が建設されています。
岩崎城には中世的な櫓はありましたが(標高66.3mの最高地点が櫓台の跡)、近世的な天守は当然建っていませんでした。

コンクリート製の模擬天守閣は1~2階が展示室、最上層の4階は展望室になっています。

岩崎城跡(岩崎城歴史記念館)
名称 岩崎城跡(岩崎城歴史記念館)/いわさきじょうせき(いわさきじょうれきしきねんかん)
所在地 愛知県日進市岩崎町市場67
関連HP 岩崎城公式ホームページ
電車・バスで 市営地下鉄東山線星ヶ丘駅から名鉄バストヨタ博物館前、五色園行きで20分、岩崎おんたけ口下車、徒歩3分
ドライブで 名古屋高速高針ICから約6km
駐車場 15台/無料
問い合わせ 岩崎城歴史記念館 TEL:0561-73-8825/FAX:0561-74-0046
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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