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高月院(松平家墓所)

高月院(松平家墓所)

徳川家のルーツ、松平氏の発祥の地・松平郷(愛知県豊田市松平町)にある浄土宗の寺、高月院(松平家墓所)。貞治6年(1367年)、松平郷の郷主・在原信重( ありわらののぶしげ=在原業平の子孫とも伝えられる)が寂静寺として創建。在原信重の娘婿が松平親氏(まつだいらちかうじ=松平氏始祖)です。

徳川家のルーツ、松平氏の菩提寺

松平家の祖、松平親氏は、寛立上人に深く帰依し、寂静寺を松平氏の菩提寺として高月院の名にしたもの。
慶長7年(1602年)、徳川家康(松平の9代目)から寺領100石が寄進され、徳川幕府の時代には将軍家の手厚い保護を受けました。
高月院の住職は形式的には徳川将軍の命で選ばれ(徳川幕府の選任)、10万石の待遇で東海道を籠で往復するという格式を誇りました。
境内には、松平家墓所があり、初代・松平親氏、2代・松平泰親、4代・松平親忠夫人の墓(宝篋印塔)が並んでいます。
現存する山門や本堂は1641年に徳川家光が寄進したもの。
周辺には松平東照宮(松平氏館跡)、松平城跡(松平親氏の根拠地となった室町時代の山城)などがあり、松平氏遺跡(松平氏館跡、松平城跡、大給城跡、高月院)として国の史跡になっています。

徳川家康は、安祥城(あんじょうじょう)、岡崎城を居城とした安祥松平家の流れですが、そのルーツは、この松平郷です(家康は、源氏由来の徳川姓を強引に名乗り、直系のみ徳川姓を許し、親類縁者に松平姓を与えました)。
ただ、平野部での松平氏は、農業生産量の増加、舟運などの活用もあって戦国大名へと発展しますが、松平郷を領有した土豪の松平氏は、徳川幕府のもとで旗本を務めたにすぎません。
しかし、徳川歴代将軍は、徳川家のルーツ、松平氏の故郷として神聖視し、高月院の住持が江戸に下る際には人足8人、馬5疋の使役を認められていました(『高月院文書』)。

高月院(松平家墓所)
名称 高月院(松平家墓所)/こうげついん(まつだいらけぼしょ)
所在地 愛知県豊田市松平町寒ヶ入44
関連HP 松平郷公式ホームページ
電車・バスで 名鉄三河線豊田市駅からタクシーで30分
ドライブで 東海環状自動車道豊田松平ICから約8km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 高月院 TEL:0565-58-1623
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

松平東照宮

松平郷(現在の愛知県豊田市松平町)は徳川家のルーツである松平氏発祥の地。松平東照宮をはじめ、初代・松平親氏(まつだいらちかうじ=松平氏・徳川氏の始祖)以来の松平家の菩提寺・高月院、松平城址、松平家と徳川家ゆかりの品々が展示されている松平郷館

徳川家康産湯の井戸(松平東照宮)

愛知県豊田市松平町、松平東照宮の境内にあるのが、徳川家康産湯の井戸。神社の敷地はかつて松平家の屋敷があった場所で、徳川家のルーツの地。天文11年12月26日(1543年1月31日)、竹千代(家康)が岡崎城で生誕した際、井戸の水を竹筒に詰め、

大給城

愛知県豊田市大内町、徳川家(松平氏)のルーツ・松平郷の西にある中世の山城が、大給城(おぎゅうじょう)。大給松平家の初代・松平乗元(まつだいらのりもと)と、その子・松平乗正(まつだいらのりまさ)が築城した山城で、松平氏遺跡のひとつとして国の史

 

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