サイトアイコン ニッポン旅マガジン

半田市立博物館

半田市立博物館

愛知県半田市にある近世以降、醸造のまちとして栄えた半田の歴史と文化を紹介するミュージアムが半田市立博物館。博物館が建っているのは、半田地域文化広場と呼ばれるエリアで、半田空の科学館、半田市体育館、半田市はなのき広場(現在の任坊山公園)、半田市立図書館があります。

江戸の寿司ブームを支えた半田の酢に注目!

10月に行なわれる『はんだ山車まつり』

半田市立博物館の館内では、知多半島の自然・歴史、半田の祭礼・酢醸造を常設展示。
江戸時代、知多の舟運を利用して半田で醸造された酒や酢は江戸に運ばれ、半田に財をもたらしました。

知多では酒の醸造が盛んで、醸造した酒は船足の早い知多廻船の優位性を活かし、江戸へと運ばれていました。
文化元年(1804年)、ミツカンの初代・中野又左衛門(なかのまたざえもん)は、養子入りしていた酒造家・中野半左衛門家から分家独立。
半田で酒造業を営む傍ら、酒粕を利用した粕酢造りにチャレンジします。
中野又左衛門は、江戸で流行が始まった早ずし(握り寿司のルーツ)に、当時まだ高価だった米酢が使われていることを知り、酒粕から酢を造れば、米を用いた米酢より安価で販売できると考えたのです。

しかし、当時の酒造技術だと、もし酒桶に酢酸菌が入り込めば、酒が全部、酢に変わってしまうため、酒造家が酢を造ることはありませんでした。

こうした難関を乗り越え、知多廻船で江戸に運んだ粕酢は、「粕酢の風味や旨みがすし飯に合う」と、早ずし(握り寿司のルーツ)に使われるようになり、江戸の早ずしブームを生み出したのです。

明治時代に汽缶(ボイラー)が導入される以前の道具類は、粕酢醸造の原料処理、フナ場、ワカシ場、仕込み、貯蔵、濾過(ろか)、詰口という7工程で使われたもので、中埜家が、江戸時代に酢の醸造に使用していた「半田の酢醸造用具」は、国の重要文化財に指定。

日本酒と酢の醸造、江戸での販売で蓄えられた豊かな財力により、半田では各地区で山車が建造され、「山車のまち半田」と呼ばれるほど、山車祭りが盛大に行なわれるようになりました。

現在も、毎年3月下旬から5月上旬にかけて市内10地区総数31輌の豪華な山車が各地区の氏神を中心に曳かれていますが、この山車31輌は交替で半田市立博物館に展示(年に3台展示)されています。
また、毎年10月に行なわれる『はんだ山車まつり』では、31輌の山車が勢揃いするビッグイベントになっています。

半田市立博物館
名称 半田市立博物館/はんだしりつはくぶつかん
所在地 愛知県半田市桐ケ丘4-209-1
関連HP 半田市公式ホームページ
電車・バスで 名鉄河和線成岩駅から徒歩15分
ドライブで 知多半島道路半田ICから約2.5km
駐車場 220台/無料
問い合わせ 半田市立博物館 TEL:0569-23-7173/FAX:0569-23-7174
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

半田赤レンガ建物(旧カブトビール工場)

愛知県半田市にあるレンガ造りの建物が半田赤レンガ建物(旧カブトビール工場)。明治31年に丸三麦酒のビール工場として建築され、「カブトビール」の製造が行なわれましたが、昭和初期に製造は終了し、戦時下では中島飛行機製作所の衣糧倉庫として使用され

旧中埜家住宅

愛知県半田市にあり中埜半六(なかのはんろく)の別邸として建築された明治時代末期の洋風建築が旧中埜家住宅。明治44年築で国の重要文化財。建物は中埜家10代の中埜半六がイギリスで見た欧米住宅の美しさに惹かれ別邸として建築したハーフティンバー様式

新美南吉生家

『ごんぎつね』、『手ぶくろを買いに』などで知られる児童文学作家・新美南吉(にいみなんきち/本名:新美正八/旧姓渡邉)の生家。新美南吉は、愛知県知多郡半田町(現・半田市)岩滑(やなべ)の出身。大正2年7月30日、父・渡邉多蔵、母・りゑの次男と

新美南吉記念館

愛知県半田市にある半田出身の童話作家・新美南吉の業績を紹介するミュージアムが新美南吉記念館。童話『ごん狐』の舞台とされる「中山さまの城跡」(童話の森)に隣接する地に、新美南吉生誕80周年・没後50周年を記念して平成6年に開館した記念館です。

中島飛行機滑走路跡

愛知県半田市にある戦時中に海軍の航空機を生産した中島飛行機半田製作所の滑走路跡が、中島飛行機滑走路跡。北西から南東にのびる滑走路は全長924mの1本。南東側が堤防に当たるため、中島飛行機半田製作所の生産機、艦上攻撃機「天山」や艦上偵察機「彩

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了