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旧本多忠次邸

旧本多忠次邸

愛知県岡崎市、東公園の西端にあるのが、旧本多忠次邸。旧岡崎藩主・本多家(本多忠勝系)の末裔にあたる本多忠次が、昭和7年、東京・世田谷に建てた邸宅(洋館)と壁泉(へきせん)の一部を移築復原したもの。館内には当時の家具、ステンドグラスなどの調度品が常設展示されています。国の登録有形文化財に指定。

東京・世田谷から移築し、平成24年に開館

本多忠次は、徳川四天王(徳川家康の側近として仕え、徳川幕府の樹立に尽力した酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政)のひとり、本多忠勝を祖とし、藩政時代には「神君・家康出生の城」である岡崎城を藩庁とする岡崎藩の藩主を務めた本多家の第18代。
父である本多忠敬(ほんだただあつ)は、岡崎藩最後の藩主・本多忠直が没した後、本多家家督を継承、明治時代に子爵となり、貴族院議員を務めています。
岡崎城跡一円を岡崎市に寄付したのも本多忠敬の時代。

子爵・本多忠敬の次男が本多忠次で、36歳の時に新進気鋭だった白鳳社工務店(大正10年創業)に依頼し、およそ1年を費やし、建築会社との二人三脚で完成した洋館が、現存する旧本多忠次邸です。
敷地の選定から建築基本設計まで、本多忠次自身が手掛けています。
建物があったのは、現在の世田谷区野沢、環七通りの脇で、平成11年に103歳で天寿を全うするまで、生活していました。
遺族から取り壊し予定の話があがったため、岡崎市が移築保存することになったのです(本多家から建築部材や家具・調度品などの寄付を受け、平成24年7月6日に開館)。


フランス瓦の屋根、外壁は色モルタル仕上げと、当時の田園趣味を反映したスパニッシュ様式。
玄関部分には車寄せがあり、南側中央には三連アーチのアーケードテラス、続く東端には2階まである半円形のベイウインドウを配置し、洒落たホテルのような雰囲気です。
前庭にはスパニッシュ様式に欠かせない壁泉(壁に設けた人工の滝)のある大きなプールが設置されています。

外観は洋風ですが、内部は洋館のなかに和室を取り入れた和洋折衷。
本多忠次手書きの設計図には「御用聞きが食堂を見ぬように」など、プライバシーを重視した設計であることもよくわかります。
ほとんどの家具は建築当初にオーダーメイドしたもので、家具はもちろん、浴室のモザイクタイル、ステンドグラス、オリジナルデザインの照明器具なども必見の価値があります。

空襲などの被害に遭うことはありませんでしたが、戦後はGHQの接収を受けたこともあり、その際、GHQ最高司令官のダグラス・マッカーサー宛で、「思い入れのある家なので改造、改築されることなく住んでいただけるように」という書簡を出したほど、本多忠次には自邸への思いがありました。
マッカーサーの顧問弁護士である夫婦の住まいとなり、家具なども散逸を免れ、今に伝わっているのです。

フランス瓦やタイルも大部分は往時のものを使用していますが不足分は、タイルは常滑市、瓦は高浜市と、本場の技術を生かして再生しています。
残念ながら用地の都合で庭の広さは3分の1ほどに縮小されてはいますが、往時の雰囲気を十分に伝えています。

旧本多忠次邸
名称 旧本多忠次邸/きゅうほんだただつぐてい
所在地 愛知県岡崎市欠町足延40-1
関連HP 岡崎市公式ホームページ
電車・バスで 名鉄東岡崎駅から市民病院行きバスで20分、東公園口下車、徒歩5分
ドライブで 東名高速道路岡崎ICから約2km
駐車場 東公園北駐車場・南駐車場、東駐車場(419台/無料)
問い合わせ 旧本多忠次邸 TEL:0564-23-5015
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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