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金澤八幡宮

金澤八幡宮

秋田県横手市にある源義家(みなもとのよしいえ)ゆかりの古社が金澤八幡宮(かねざわはちまんぐう)。寛治7年(1093年)、後三年の役(ごさんねんのえき)で奥羽平定を果たした源義家が、藤原清衡(ふじわらのきよひら=奥州藤原氏初代)に命じ京・石清水八幡宮の祭神を、陥落させた金沢柵跡に勧請した古社です。

源義家が後三年の役後に創建の古社

金沢柵(かねざわのき)は、古代城柵として遺構が発見されていませんが、金沢公園(金澤八幡宮)一帯がその場所だったと推測されています。
後三年の役で源義家は、寛治元年(1087年)、難攻不落といわれた金沢柵で防戦した清原家衡(きよはらのいえひら)・清原武衡(きよはらのたけひら)軍を兵糧攻めにして陥落させ、清原武衡は近くの蛭藻沼(横手市杉沢)に潜んでいるところを捕らえて斬首しています。
こうした戦乱の後、金澤八幡宮が創建されています。

秋田藩主・佐竹氏(常陸源氏の嫡流、源昌義が常陸国久慈郡佐竹郷に土着して佐竹氏を名乗ったのが始まり)は、源義家の弟・源義光(みなもとのよしみつ=新羅三郎)の末裔を称したため、金澤八幡宮は歴代秋田藩主の帰依を受け繁栄しました。
現在の社殿は大正5年に改築されたもの。
境内の兜八幡(かぶとはちまん)は、源義家・義光兄弟を祀る社。
その横の星兜石は、凱旋の際に兜を埋めて、その上に岩を置いたものと伝えられています。

9月に齋行される『金澤八幡宮祭典』 では『仙北荷方節』(せんぼくにかたぶし)にあわせて即興で歌を掛け合う「伝統掛唄大会」も行なわれています。

ちなみに金澤八幡宮からは11世紀の遺物は発掘されておらず、金沢柵跡の場所は考古学的には特定されていません。
金沢公園として整備される一帯、兵糧不足に悩んだ源義家軍の馬の背で、大豆が発酵し納豆が誕生したという逸話から「納豆発祥の地碑」が立っています。

金澤八幡宮
名称 金澤八幡宮/かねざわはちまんぐう
所在地 秋田県横手市金沢安本館4
ドライブで 秋田自動車道横手ICから約10.8km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 横手市教育委員会文化財保護課 TEL:0182-32-2403
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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