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弘前市仲町伝統的建造物群保存地区

弘前市仲町伝統的建造物群保存地区

青森県弘前市(ひろさきし)、弘前が「みちのくの小京都」といわれる雰囲気をもっとも有しているのが弘前公園(弘前城跡)の北側にある、前市仲町伝統的建造物群保存地区。弘前城下の侍町部分の3分の2、10.6haのエリアで、江戸時代の武家屋敷町の景観を今に伝えています。

藩政時代の町割りが現存し、武家住宅4棟を公開

弘前城下の町割は、南北に長く東西に短い弘前城を中心に、その四方に配されています。
現在、搦手門(からめてもん=裏門)となっている北門(亀甲門)が築城時の大手門で、その北側に亀甲町と呼ばれる町人町を挟んで、侍町(北堀に沿って東西に延びる亀甲町道とその北の大久保堰との間)を配しています。
その侍町が仲町で、往時の地割りを踏襲し、7尺(2.1m)の道幅は、戦闘の際に槍をつけるのに都合がよかった幅と推測されています。

築城当初は足軽や禄高の低い役職の武士の居住地でしたが、元禄年間(1688年〜1704年)以降の城内居住武士の城外移転に伴って、中級・下級武士や禄高の多い大身(たいしん)の家臣などの居住地になりました。
道路沿いに連続するサワラの生垣、前庭の樹木、その奥の主屋が独特の景観を生みだしています。

中級武士の住居だった旧梅田家(往時は五十石町にありました)、藁工品荒物を扱った商家で雪国特有のアーケードである「こみせ」が軒に付けられた石場家(国の重要文化財)など武家屋敷や商家が10.6haの広さで残され、昔町の散策にも絶好です。
エリアの西端に旧梅田家(冬期休館)、それに続いて旧笹森家(国の重要文化財/保存地区の北東部から移築)、旧伊東家(青森県の重宝)が、東端に旧岩田家(青森県の重宝)と4棟の武家住宅があり公開され、簡素ながらも剛健な江戸時代後期の中級武士の生活を偲ばせてくれます。

保存地区自体は、閑静な住宅地で、地域住民の居住空間でもあるため、マナーを守って散策を(ほとんどが一般の住宅であり非公開なので、敷地内に立ち入ることはできません)。

青森県内で重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定されるのは、弘前市仲町のほか、中町こみせ通りで知られる黒石市中町伝統的建造物群保存地区の2ヶ所のみとなっています。

旧笹森家住宅(国の重要文化財)
弘前市仲町伝統的建造物群保存地区
名称 弘前市仲町伝統的建造物群保存地区/ひろさきしなかちょうでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく
所在地 青森県弘前市若党町
関連HP 弘前市公式ホームページ
電車・バスで JR弘前駅から弘南バス浜の町方面行きで15分、亀の甲町角下車、徒歩5分
ドライブで 東北自動車道大鰐弘前ICから約11km
駐車場 弘前文化センター駐車場(110台/1時間まで無料、以降有料)など周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 弘前市文化財課 TEL:0172-82-1642
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

弘前城

津軽藩の2代藩主・津軽信牧(つがるのぶひら)が1611(慶長16)年に築いた城が弘前城。一帯は弘前公園として整備されゴールデンウィーク前後には5000本の桜が咲き、「日本さくら名所100選」にも選定。弘前城は全国でも珍しい3重の堀を巡らし、

旧岩田家住宅

青森県弘前市、弘前公園(弘前城)の北側、かつての武家屋敷町で、弘前市仲町重要伝統的建造物群保存地区に選定される一角に建つのが、旧岩田家住宅。青森県の重宝に指定される旧岩田家住宅は、寛政10年 (1798年)〜文化5年(1808年)に建てられ

 

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