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日本キリスト教団弘前教会

日本キリスト教団弘前教会

青森県弘前市、弘前公園の東にある歴史ある教会堂が日本キリスト教団弘前教会。明治39年、弘前メソヂスト教会の教会堂として建築されたもので、左右に配置されたフランスゴシック風、白のオイルペイントで仕上げの双塔が印象的。設計は桜庭駒五郎、建築は堀江佐吉の四男・斎藤伊三郎です。青森県の重宝。

ノートルダム寺院を思わせる双塔が印象的

弘前教会は明治8年に東奥義塾塾長・本多庸一(ほんだよういつ=明治期日本におけるキリスト教主義教育の先駆者)、東奥義塾の英語教師・宣教師ジョン・イング(John Ing)が創立した東北地方で最も古い教会(プロテスタント教会)。

ジョン・イングは、明治7年、横浜で本多庸一に出会い、菊池九郎(きくちくろう=慶應義塾に学び、東奥義塾を設立)の招きで弘前の東奥義塾の英語教師として就任(明治11年に函館に移っています)。

現存する教会堂は、明治37年焼失の教会堂に代わり、青森特産のヒバ材を用いて明治39年12月に完成、明治40年8月に献堂式が行なわれたもの。
モチーフになったといわれるのが、有名なフランス、パリ・セーヌ河岸のノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris、ローマ・カトリック教会の聖堂/世界遺産)で、たしかによく似ています。

昭和16年に日本基督教団(日本キリスト教団)が設立され、以降は日本キリスト教団の教会堂に。

設計は、弘前学院外人宣教師館(国の重要文化財)と同じ、クリスチャン棟梁と呼ばれた桜庭駒五郎(さくらばこまごろう)。

近代日本を代表するキリスト者、本多庸一

津軽藩士・本多庸一は、明治3年、津軽藩の命で、英語を学ぶために横浜に留学。
アメリカ人宣教師サミュエル・ロビンス・ブラウン(Samuel Robbins Brown)に修文館(幕府が横浜に建てた洋学校)で英語を学んだ後、ジェームス・バラ(James Hamilton Ballagh)が開いたバラ塾に入学。

さらにサミュエル・ロビンス・ブラウンが横浜山手211番に開いたブラウン塾(私塾の神学校)に入塾、キリスト教の洗礼を受けています。
その後、廃藩置県の影響で廃校となっていた東奥義塾を再興し、東北最古のプロテスタント教会である弘前教会を建設、初代牧師になっています。
明治11年に青森県議会の開設とともに初代青森県会議長に就任、アメリカ留学後、明治23年、東京英和学校(現・青山学院)の校主に就任しています。
渋谷区代官山の本多記念教会は、本多庸一の名を取って命名。

日本キリスト教団弘前教会
名称 日本キリスト教団弘前教会/におほんきりすときょうだんひろさききょうかい
所在地 青森県弘前市元寺町48
関連HP 弘前市公式ホームページ
電車・バスで JR弘前駅から弘南バス市役所方面行きで15分、市役所公園入口下車、すぐ
ドライブで 東北自動車道大鰐弘前ICから約11km
駐車場 弘前市立観光館駐車場(100台/1時間まで無料、以降有料)、弘前文化センター駐車場(110台/1時間まで無料、以降有料)もあり
問い合わせ 弘前市文化財課 TEL:0172-82-1642
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

旧東奥義塾外人教師館

青森県弘前市にあるレトロな洋館が旧東奥義塾外人教師館。明治36年に弘前市東奥義塾(現・東奥義塾高等学校)に招聘されていた英語教師の宿舎として建設された洋館。昭和62年に弘前市に寄贈され一般公開されています。青森県の重宝。隣接して旧弘前市立図

弘前学院外人宣教師館

青森県弘前市稔町にあるレトロな洋館が弘前学院外人宣教師館。明治39年、弘前女学校(現・弘前学院大学)にアメリカ婦人伝道会社から派遣されたメソジスト派の婦人宣教師の宿舎として建設されたもので、国の重要文化財。設計施工は弘前のクリスチャン棟梁、

 

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