かつて東海道本線を走った寝台特急「あさかぜ」。ブルートレインの代名詞、先駆けとなった特急は、昭和31年11月19日にデビュー。東海道本線全線電化に合わせて誕生した戦後初となる寝台特急で、東京駅〜博多駅間を走った特急。昭和33年10月1日に20系客車(「ブルートレイン」)が登場しています。
新婚旅行でも利用された「走るホテル」
東海道本線の全線電化の目玉として誕生した寝台特急で、昭和33年10月1日に投入された新造車両の20系客車は、国鉄車両では初となるエアコンを完備、食堂車調理設備の完全電化を実現、旅客車全車に空気ばね台車を装備するなど、快適さが向上、「走るホテル」とも呼ばれています。
青15号にクリーム色1号の帯を3本巻いた塗装からブルートレインの呼称が生まれましたが、20系は「あさかぜ形客車」とも称されたため、「ブルートレイン=あさかぜ」のイメージが定着しました。
20系客車の投入で、食堂車は都ホテルが担当。
昭和33年10月1日当時の編成は、三等車(現在の普通車)、二等車(現・グリーン車)、二等寝台車(現・A寝台)、一等寝台車(1人用個室「ルーメット」、2人用個室「コンパートメント」)、食堂車、電源車でした。
「走るホテル」として個室も備えられていたことから九州、あるいは逆に関東への新婚旅行などにも利用され、当時の鉄道ファンにもあこがれの存在でした。
親戚や同僚がホームに集まり、新婚カップルを見送る光景もよく目にした時代で、庶民は個室ではなく、2等寝台で、上段に新婦、下段に新郎が寝るということも多かったとか。
日本交通公社(現・JTB)の旅行雑誌「旅」に連載された松本清張の推理小説『点と線』に登場するのも東京駅15番線から発車する博多行きの寝台特急「あさかぜ」です。
13番線ホームから15番線ホームの寝台特急「あさかぜ」に乗り込む姿を視認できるのはわずか4分間。
この「空白の4分間」は旅好きの松本清張ならではの設定で、九州、東京、北海道というあこがれの地を人気の寝台特急で結ぶなど、大いに旅情を掻き立てました。
昭和50年3月10日、山陽新幹線が博多駅まで延伸開業すると「あさかぜ」は2往復体制に縮小され、「走るホテル」の代名詞だった20系客車では唯一の全室個室寝台車「ナロネ20形」の連結、さらにグリーン車の連結を終了。
さらに食堂車担当の都ホテルが新幹線食堂車営業移行で、食堂車の担当も日本食堂門司営業所に移管されています。
平成17年3月1日、寝台特急の代名詞でもあった「あさかぜ」は廃止されています。
現在「あさかぜ」に使われたナハネフ22形客車(20系客車)は、「鉄道博物館」1階の車両ステーションで展示されています。
「あさかぜ」の終着駅だった博多駅に近い貝塚公園にも20系客車(ナハネフ22 1007)が静態保存されています。
11月19日は、寝台特急「あさかぜ」誕生の日 | |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag