憧れの寝台特急「ブルートレイン」、そもそも「ブルートレイン」って何!?

かつて東京〜博多を結んだ寝台特急「あさかぜ」、東京〜札幌の「北斗星」に代表される「ブルートレイン」。憧れのブルートレインは「青い車体」、「食堂車でのディナー」がロマンチックな旅を演出しました。そもそもブルートレインとは何なのでしょう、その始まりから紐解きましょう。

寝台特急が「あさかぜ」がブルートレインの元祖

ブルートレイン
東京〜九州で活躍した寝台特急の数々

昭和31年、東京〜博多間に誕生した寝台特急が「あさかぜ」。
昭和33年、「あさかぜ」用に冷暖房完備の20系客車が新造投入されましたが、これが青い車体から「ブルートレイン」と通称されたのが始まりです。
つまり、寝台特急「あさかぜ」が「日本最初のブルートレイン」ということに。
なぜ青い塗装にしたのかといえば、ヨーロッパの寝台車の塗装を真似たから。
国鉄ではインブルーと呼んだ青15号(R35・G64・B89)で、併結する荷物客車、郵便客車にもこの青15号が塗装されて統一感を醸し出しました。

ちょっぴりオシャレなのは、クリーム1号 (R214・G188・B150)の細いラインを側面の上、中央、下に入れて、高級感を演出した点。

自販機、トイレ、食堂、シャワー、公衆電話が装備され、ビジネスだけでなく新婚旅行などにも使われ、まさに動くホテルといったイメージでした。
まだ、国内には高速道路もなく(名神高速道路の開通は昭和38年7月)、飛行機での移動がまだ一般的でなかった時代のこと、寝台特急は移動手段としても重宝されたのです。

ブルートレインという名が生まれたのは、皮肉にも東海道新幹線開業後の昭和40年頃。
以降は、飛行機、新幹線、さらには高速バスとライバルも増え、少しノスタルジックな存在となります。
ブルトレブームと呼ばれるのは昭和50年代に入ってから。
東京〜九州の「あさかぜ」、「富士」、「はやぶさ」、「さくら」、「みずほ」、そして東京〜出雲の「出雲」などが人気となり、車両も20系の老朽化で20系客車に置き換わっていきました。

東京〜札幌に食堂車やロビーカー、個室寝台を連結した寝台特急「北斗星」が登場するのは、青函トンネル(津軽海峡線)が開業した昭和63年3月13日。
客車は24系客車ですが、A寝台ロイヤル(1人用個室)、ツインデラックス(2人用個室)、B寝台ソロ(1人用個室)、デュエット(2人用個室)と個室を備え、さらにコースディナー(フランス料理コースか懐石御膳を選択)を提供する食堂車「グランシャリオ」という豪華な旅を誇りました(ディナータイム終了後に軽食類を提供するパブタイムも)。
モーニングタイムには洋食、和食が選択でき、まさにホテルサービスを提供していましたが、食堂車付きの優雅な汽車旅の最後の華だったブルートレインとなったのです。
平成27年3月14日に定期運行を終了、8月22日夜・札幌発の「北斗星」が「57年にわたって運転されたブルートレインの最後」となったのです。

現在、国内を走る定期寝台特急は人気の「サンライズ瀬戸・出雲」のみですが、食堂車の併結がなく、ブルトレ時代の「優雅な汽車旅」とは少し異なるものがあります(快適さなどは向上しています)。

東京と札幌を結んだ「北斗星」
憧れの寝台特急「ブルートレイン」、そもそも「ブルートレイン」って何!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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