日本通貨発祥の地碑(和同開珎モニュメント)
埼玉県秩父市黒谷、秩父鉄道の和銅黒谷駅から徒歩15分ほどの谷間にあるのが、日本通貨発祥の地碑(和同開珎モニュメント)。日本通貨発祥の地碑横を流れる和銅沢の少し上流、黒谷1918番地(和銅山)で和銅を採掘し、日本で最初の通…
埼玉県秩父市黒谷、秩父鉄道の和銅黒谷駅から徒歩15分ほどの谷間にあるのが、日本通貨発祥の地碑(和同開珎モニュメント)。日本通貨発祥の地碑横を流れる和銅沢の少し上流、黒谷1918番地(和銅山)で和銅を採掘し、日本で最初の通…
埼玉県秩父郡長瀞町長瀞、埼玉県立自然の博物館の東側(敷地内)、南桜通り沿いに立つのが、日本地質学発祥の地碑。平成5年、日本地質学会発足100周年、長瀞町町村合併50周年などを記念して建立されたもの。ナウマンは、明治11年…
大阪府豊中市玉井町3丁目、高校野球発祥の地記念公園の西エリアにあるのが、高校野球発祥の地碑。大正4年、第1回の大会が行なわれた豊中グラウンドの跡地が公園になったもので、門柱を再現したメインエントランスを入ったレンガウォー…
東京都千代田区神田錦町3丁目、学士会館の敷地内に立つのが、日本野球発祥の地碑。平成15年に建立されたモニュメントで、明治5年、第一大学区第一番中学(現在の東京大学)で教鞭をとったアメリカ人教師のホーレス・ウィルソン(Ho…
東京都中央区銀座3丁目、歌舞伎座の北東、松屋通り沿い、祝橋近くに立つのが、専修大学発祥の地碑。明治13年10月、東京市京橋区木挽町2丁目14番地(現在の銀座3丁目)に夜間2年制の経済科(日本初の経済学科)、法律科を有する…
岐阜県下呂市湯之島、下呂温泉街にあるロマネスク風外観の日帰り入浴施設が、白鷺乃湯(しらさぎのゆ)。下呂温泉に温泉を配当する下呂温泉株式会社の経営する共同湯ですが、その玄関前にある「ビーナスの足湯」横に立つのが、日本三名泉…
東京都中央区明石町、聖路加国際大学敷地内にあるのが、立教女学院築地居留地校舎跡記念碑。立教女学院は明治10年、湯島で開校していますが(生徒はわずかに6名)、明治15年、立教学校(立教大学のルーツ)のある築地居留地に移転し…
東京都中央区明石町、聖路加国際病院の敷地内にあるのが、立教学院発祥の地碑。池袋のイメージの強い立教大学は、明治7年、築地の外国人居留地に開かれた聖書と英学を教える私塾「立教学校」がルーツ。立教大学など立教学院の創立125…
東京都中央区明石町7丁目、聖路加国際病院の北東側、塩瀬総本家本店近くに立つのが、明治学院発祥の地碑。明治13年に築地居留地(築地居留地17番)に東京一致神学校を開校していますが、明治学院はこの神学校開校をルーツとしていま…
今や全国に数ある塩羊羹。その塩羊羹の元祖が明治6年創業の下諏訪温泉(長野県諏訪郡下諏訪町)の「新鶴本店」です。諏訪神社下社秋宮に隣接する新鶴本店の初代・河西六郎が考案。北海道十勝産の小豆を厳選し、地元茅野(ちの)の天然寒…
「日本で初めて白だしを開発し、日本一の白だしの品揃えを誇る会社です」と胸を張るのが愛知県安城市に事業本部を置く七福醸造。昭和26年に白醤油醸造販売の会社として愛知県安城市に誕生。自慢の「料亭白だし」には、愛知・岐阜・三重…
兵庫県川西市平野3丁目、国道173号の脇、ホームセンターの「コーナン川西平野店」北側にあるのが、三ツ矢サイダー発祥の地(平野鉱泉工場跡)。明治17年、「平野水」の名で瓶詰めにして販売された炭酸水が三ツ矢サイダーの始まり。…
東京都台東区花川戸2丁目、台東区立花川戸公園にあるのが、履物問屋街発祥碑。江戸通り沿いなどに、靴や鞄など革製品を取り扱っている専門店70店余りが軒を連ねる花川戸靴・はきもの問屋街。暮れに『花川戸はきだおれ市』が開かれる花…
愛媛県松山市中須賀3丁目に立つのが、ポンジュース発祥の地碑。住宅街の一画ですが、石碑が立つ場所は、ポンジュースを製造・販売するえひめ飲料の前身、愛媛県青果農業協同組合連合会の三津工場(みつこうじょう)跡地で、昭和27年1…
愛知県名古屋市中区錦3丁目、久屋大通公園の名古屋テレビ塔(中部電力MIRAI TOWER)南東側に立つのが、蕉風発祥の地碑(しょうふうはっしょうのちひ)。蕉風とは松尾芭蕉とその門人の俳風のこと。貞享元年(1684年)、故…
神奈川県足柄下郡箱根町湯本、箱根湯本温泉に鎮座する熊野神社の参道に立つのが、箱根温泉発祥の地碑。天平10年(738年)、浄定坊(じょうじょうぼう)が発見したと伝えられる湯本温泉の最古の源泉、惣湯(そうゆ)が湧く場所で、熊…
東京都中央区京橋3丁目、京橋大根河岸おもてなしの庭、京橋大根河岸通り沿いにあるのが、江戸歌舞伎発祥の地碑。寛永元年(1624年)、猿若勘三郎(初代・中村勘三郎)が中橋南地(現在の日本橋と京橋の中間)に、猿若中村座(猿若座…
東京都江東区清澄1丁目に立つのが、セメント工業発祥の地碑。仙台藩蔵屋敷跡を利用し、明治5年、大蔵省土木寮の摂綿篤(セメント)製造所を東京府下清住町に建設、明治7年に工部省の深川製作寮出張所に改められ、明治8年5月19日、…