日本のサイダーのルーツは、「三ツ矢サイダー」

三ツ矢サイダー

3月28日は3(み)2(つ)8(や)の語呂合わせで、「三ツ矢サイダーの日」。「三ツ矢サイダー」は明治17年、兵庫県多田村平野(現・川西市平野)で、帝国鉱泉が平野鉱泉の鉱泉水を瓶に詰めて販売したのが始まり。「三ツ矢サイダー」にも、三ツ矢マークに添えてSINCE 1887と入っています。

明治17年、兵庫県で瓶詰めされた「平野水」がルーツ

三ツ矢サイダー
平野鉱泉を汲み出した帝国鉱泉の源泉地施設(アサヒ飲料・源泉地室)

「三ツ矢の日」は、平成16年に三ツ矢サイダー120周年記念してアサヒ飲料が制定したもの。

明治14年、イギリス人理学者で、「日本アルプス」の命名者としても知られるウィリアム・ガウランド(William Gowland=全国全国406基の古墳を調査、古墳研究の先駆者としても名高く、「日本考古学の父」とも)が、多田村(現・川西市)の平野鉱泉から涌き出る炭酸水を分析し、「理想的飲料鉱泉なり」と賞賛したことで、炭酸水としての飲料化の道が誕生。
明治17年に平野鉱泉工場で瓶詰めが始まったのです。

胃腸病の持病もあった夏目漱石も愛飲していたようで、随筆『思い出す事など』や小説『行人』に「平野水」が登場しています。

明治42年、鉱泉水に砂糖とクエン酸を加え、輸入したサイダーフレーバーエッセンスを使って味付け、「三ツ矢」印の「平野シャンペンサイダー」を発売(「三ツ矢シャンペンサイダー」の通称で広告展開)したところ、これがヒット。

宮沢賢治も稗貫郡立稗貫農学校の教師時代(大正10年12月3日に着任)、給料が出ると行きつけのそば屋「やぶ屋」(花巻市に本店があります)で、天ぷらそばと当時贅沢品であった「三ツ矢シャンペンサイダー」(天ぷらそばは15銭、サイダーは23銭と、天ぷらそばの1.5倍の値段)を生徒達にふるまっています。

昭和27年に「全糖 三ツ矢シャンペンサイダー」、そして昭和43年に現在の「三ツ矢サイダー」と名称も変わっています。
戦後発売の「全糖 三ツ矢シャンペンサイダー」が全糖を謳っているのは戦中に砂糖が手に入らなかったため、戦後ちゃんと入っていることをPRするためだと推測できます。
「全糖 三ツ矢シャンペンサイダー」の甘味成分は、当時とても希少だった砂糖のみという「ぜいたくな清涼飲料」だったのです。

ここで、疑問なのは、サイダー(CIDER)は、りんごジュース、りんご酒、シードル(フランス語読み)のこと。
本来は三ツ矢ソーダ(SODA=炭酸水)となるべきなのですが、明治42年に「三ツ矢」印の「平野シャンペンサイダー」を発売した際、「サイダーフレーバーエッセンスを使った炭酸水」ということからサイダーと命名。
日本では炭酸水(ソーダ)をもサイダーと呼ぶような誤解が生まれるようになったのです。
つまりは、それほど「三ツ矢サイダー」が一世を風靡したということに。

ちなみに、サイダーとラムネの違いは、ビー玉入りの瓶の形をしているのがラムネ、それ以外はサイダーで、中味の違いはありません。

なぜ「三ツ矢」のマークかといえば、源満仲が鷹狩りの際に見つけた霊泉が、平野の天然鉱泉だったと伝えられることから。
源満仲の故事(城地を定める際に、3本の矢を放ち、それを見つけた者に三ツ矢紋を付与)から名付けたもので、ここでもさりげなく、平野鉱泉からの長い歴史を今に伝えているのです。

現在の三ツ矢サイダーは、「磨かれた水・果実などから集めた香り・非加熱製法」という3つの約束を守って、伝統を活かしながら、様々な新製品を生み出しています。

「三ツ矢サイダー」を製造するアサヒ飲料明石工場には、「三ツ矢サイダーミュージアム」があり、ペットボトル製造工程、缶製造工程などの工場見学(工場で作られた「三ツ矢サイダー」の試飲)とともに、三ツ矢サーダーの歴史を学ぶことができます。

三ツ矢サイダー
「全糖 三ツ矢シャンペンサイダー」
日本のサイダーのルーツは、「三ツ矢サイダー」
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三ツ矢サイダー発祥の地(平野鉱泉工場跡)

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