山下公園・西洋理髪発祥の地碑
山下公園の一角に「ZANGIRI」と刻まれた白亜の像が立っています。意外に知られていませんが、これが西洋理髪発祥の地碑。日本初の西洋理髪店(理容室=Hair Dressing salon)は、元治元年1月下旬(1864年…
山下公園の一角に「ZANGIRI」と刻まれた白亜の像が立っています。意外に知られていませんが、これが西洋理髪発祥の地碑。日本初の西洋理髪店(理容室=Hair Dressing salon)は、元治元年1月下旬(1864年…
1639(寛永16)年、天海大僧正が3代将軍・徳川家光に要請し、世良田の長楽寺境内に日光東照宮奥社(元和年間に造営の多宝塔、唐門、拝殿)を移築して創建したのが世良田東照宮。本殿はその際に新築され、徳川家康(東照大権現)を…
箕面大滝(みのおおおたき)の入口、箕面公園にある瀧安寺は、修験道で知られる本山修験宗の古刹。山号も箕面山(みのおさん)で、箕面の山を修験の地とした歴史を今に伝えています。寺伝によれば、658(斉明天皇4)年、修験道を開い…
ユネスコ世界文化遺産に登録の比叡山延暦寺の横川(よかわ)地区にあるのが四季講堂(元三大師堂)。村上天皇の勅命で四季に法華経の論議が行なわれたことから四季講堂というのが正式名ですが、おみくじ・魔除けの角大師(つのだいし)で…
天橋立の西側、与謝野町の高台、大内峠にある展望台が大内峠一字観公園。東に位置する雪舟観展望所とは逆に、昇る朝日とともに見る光景が絶景の場所。股のぞき発祥の地といわれ、宮津湾と阿蘇海を横一文字に区切る天橋立を眺望。傘松公園…
アスファルト舗装の表面を加工し、そこを走ると走行音が、メロディーとして聞こえるという超ユニークな道路。まさに路面が楽器になっているわけで、標津町内の川北市街近くの酪農地帯を走る町道(川北北7線道路)がそれ。一見すると何の…
日本のサケマスの養殖事業は、内別川・千歳川上流の湧水に目をつけた開拓使御用掛・伊藤一隆が明治21年に日本初の官営「千歳中央孵化場」を開設したことに始まります。その事業は、国立研究開発法人水産研究・教育機構 北海道区水産研…
苫小牧市の東部にある周囲9km、面積275ha、平均水深0.6mの淡水湖。新千歳空港から苫小牧にかけては丹治沼など大小の湖沼が点在していますが最大の湖がウトナイ湖。湖名はアイヌ語のウッ・ナイ・トー(ut-nau-to=肋…
宗谷本線の筬島駅(おさしまえき)の西で天塩川(てしおがわ)は昔ながらに大きくカーブします。そのカーブの突端に立てられたのが、「北海道命名の地」碑。国道40号に松浦武四郎北海道命名の地という看板が立ち、そこからダートの道を…
北半球約220ヶ所で生息が確認されているマリモ。日本では阿寒湖のマリモが有名ですが、実は阿寒湖のマリモは世界最大級の大きさ。しかも平成24年には、世界に分散するマリモの起源が日本である可能性が大きいことが釧路市教育委員会…
江戸時代、米を産しない蝦夷地(えぞち=北海道)で松前藩は鰊(ニシン)を「鯡」(魚に非ず)と記して、主産物として北前船で内地へと送って藩財政を支えました。それでも松前藩は、米作への探求を行ない、大野平野(現・北斗市)に水田…
街路樹の歴史は遠く奈良時代まで遡ります。759(天平宝字3)年、太政官符が発せられ、畿道七道に果樹並木が植栽されました。東京で最初の並木は、明治7年、近代的街路樹として銀座通りにクロマツ、桜が、そして内堀通りにニセアカシ…
吉祥寺が、何で吉祥寺なのか? どうして吉祥寺という地名が生まれたのか。 ご存知でしょうか。
1690(元禄3)年、5代将軍・徳川綱吉によって建てられた孔子廟(こうしびょう=孔子を祀る霊廟)が前身。「日本の学校教育発祥の地」の碑が立つように幕府直轄の昌平坂学問所が置かれた地であり、菅原道真を祀る湯島天神(湯島天満…
東京湾の最奥に位置する東京港。江戸の昔から港があったと思ったら大間違いで、実は、関東大震災まで港らしい港はなかったんだとか。そんな東京港のルーツといわれるのが日の出ふ頭です。
江戸三大祭りのひとつに数えられる「三社祭り」が行なわれることでも知られる、東京都台東区、浅草にある古社。『浅草寺縁起』に登場する、隅田川で浅草寺の御本尊を感得した桧前浜成命(ひのくまのはまなりみこと)、桧前竹成命(ひのく…
亥鼻(いのはな)は猪の鼻のように突き出した地形という意味。都川河口に突き出した台地の上に千葉氏の居館だった亥鼻城(千葉城)があり、千葉発祥の地となっています。源頼朝の重鎮だった千葉常胤(ちばつねたね=一の谷合戦、奥州藤原…
京成本線谷津駅から南へ500mほど歩いた谷津公園。谷津バラ園の入口右手に「読売巨人軍発祥の地」碑があり、川上哲治、長嶋茂雄、王貞治など有名な巨人軍関係者の手形が並んでいます。