鉄道発祥の地碑

鉄道発祥の地碑

長崎県長崎市新地町、旧長崎英国領事館の北、長崎みなとメディカルセンター前に立つのが、鉄道発祥の地碑(我が国鉄道発祥の地碑)。新橋〜横浜間の鉄道開業は、明治5年9月12日(1872年10月14日)のことですが、長崎では元治2年(1865年)、トーマス・グラバーがイギリス製機関車を走らせているのです。

日本で最初の鉄道運行は、長崎だった!

元治2年3月17日(1865年4月12日)、長崎のイギリス人貿易商、トーマス・グラバー(Thomas Blake Glover)は、大浦海岸に600mの線路を敷設し、蒸気機関車「アイアン・デューク号」に2両の客車を連結して運転。

機関車と客車はイギリスから中国へ輸出し、上海〜呉淞間に運行予定だったもので、軌間は762mm(2フィート6インチ)の軽便鉄道。
清朝政府が購入しなかったため、グラバー商会が購入し、現在の長崎みなとメディカルセンターあたりから大浦海岸までの間を走らせたのです。

唐津の材木町町年寄・平松儀右衛門が茶、俳句仲間と連れだって長崎に旅した時の旅日記に、知人の勧めで大浦海岸に汽車見物に行ったことが記されています。
その日記に、幅半間(90ommほど)とあるので、軌間762mm・ナローゲージと推測できます。

中国の鉄道史に、同治4年7月(同治は中国の元号/1865年8月頃)、北京在住のイギリス商人トレントが北京内城の宣武門外で、延長1支里(600m)、軌間762mm(2フィート6インチ)の鉄道を運転したとあるので、グラバーが運転した後に、中国へと輸出された可能性も大です。

トーマス・グラバーは、安政6年(1859年)、開港後1年の長崎に、香港を拠点にする英国のジャージン・マセソン商会の代理人として着任。
グラバー商会を設立、貿易商人たちと競合しながら、諸藩に艦船、武器、弾薬を売り込んでいました。
軽便鉄道ながら、トーマス・グラバーは幕府への鉄道売り込みを考えていた模様で、1ヶ月間も運転させています。

鉄道発祥の地碑
名称 鉄道発祥の地碑/てつどうはっしょうのちひ
所在地 長崎県長崎市新地町6
電車・バスで 長崎電気軌道(路面電車)メディカルセンター電停から徒歩3分
ドライブで 長崎自動車道長崎ICから約4km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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