正八角形の大王墓「八角墳」、築かれた理由は謎に包まれる!?
古墳時代の終末期(7世紀半ば)に飛鳥地方で築かれたのが正八角形の八角墳(はっかくふん)。ヤマト王権の大王墓は前方後円墳に始まり、方墳を経て、八角墳が最終形態となっていることから、大王墓の最終形態ともいえますが、実は東日本…
古墳時代の終末期(7世紀半ば)に飛鳥地方で築かれたのが正八角形の八角墳(はっかくふん)。ヤマト王権の大王墓は前方後円墳に始まり、方墳を経て、八角墳が最終形態となっていることから、大王墓の最終形態ともいえますが、実は東日本…
中央の方形の墳丘(方墳)の両脇にさらに小型の方形の墳丘が付いている古墳のスタイルが、双方中方墳。よほど古墳に詳しい人でなければ聞いたこともないような名前ですが、実は国内にある双方中方墳は、三重県津市の明合古墳(あけあいこ…
大阪府南河内郡河南町(かなんちょう)にある金山古墳(かなやまこふん/墳丘長85.8m)は、大小ふたつの円丘を合わせた双円墳という不思議な古墳。全国に1例という希少な古墳で、北丘は2段に、南丘は3段に築かれ、墳丘の周囲には…
前方後円墳、円墳、四角形の方墳など、古墳には様々な形状がありますが、あまり知られておらず、見たこともない形状の古墳が、「双方中円墳」。中心部に円形の墳丘があり、その両側に方形の突出部2つが接続するスタイルで、日本最大の双…
東日本の古墳文化は、古墳文化自体の到達が遅れた陸奥(東北)では岩手県北上市の江釣子古墳群(えづりここふんぐん)など8世紀に築かれた円墳もありますが、ヤマト王権から律令国家態勢へと組み込まれた関東では、7世紀後半に築かれた…
弥生時代に続く時期区分で、「古墳が築かれた時代」が古墳時代。弥生時代の墓と古墳をどう区別するかは意見が分かれるところですが、3世紀後半から350年余りが古墳時代といえるでしょう。築造年から判明する「日本最後の古墳」は8世…
日本全国にある古墳は、なんと16万基、コンビニエンスストアの3倍近い古墳が全国に築かれていることがわかります。現存する100m以上の巨大な古墳は262基。実は戦後、住宅開発、農地開発、土取りなどで100m以上の巨大古墳も…
日本列島を糸魚川-静岡構造線で東西に分けた場合、西日本にある100m以上の巨大古墳は東日本(69基)の3倍近く。『魏志倭人伝』に記された邪馬台国(やまたいこく)、そして律令制へとつながった畿内のヤマト王権といずれも西日本…
糸魚川-静岡構造線で日本列島を東西に分けた際の、東日本にある100m以上の巨大古墳は、全69基。4世紀にはすでに現在の山梨県、宮城県、福島県など東国にも巨大な前方後円墳が築かれ、ヤマト王権の影響が東国、南東北(仙台平野)…
ヤマト王権のあった畿内(山城・大和・河内・和泉・摂津)そして隣接の近江、丹後・丹波、但馬、播磨などには、数多くの巨大古墳が築かれました。現存する100m以上の古墳は131基を数え、他のエリアを圧倒しています。3世紀のいわ…
『魏志倭人伝』(中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条)には弥生時代の3世紀末、北部九州に多くのクニがあったことが記されていますが、その後、権力を蓄えた豪族は、ヤマト王権の影響下に、巨大な古墳を造…
中国・四国地方の100mを超える古墳18基のうち、13基が岡山県ということで、古代吉備に、瀬戸内海を掌握しヤマト王権に対抗するような強大な権力を有した豪族がいたことが推測されます。100mを超える巨大な古墳がないのは島根…
中部地方に築かれた100mを超える巨大古墳は、現存するのが23基。三重県が5基と多く、岐阜県が4基、愛知県と静岡県が3基と続いています。日本海側で最大は、秋常山1号墳(石川県)と、六呂瀬山1号墳(福井県)でともに墳丘長1…
『前方後円墳集成』、『大和前方後円墳集成』によれば、国内にある前方後円墳の総数は約4700基。ヤマト王権のあった近畿地方3府県(奈良県、大阪府、京都府)は、合計642基。それに対して関東エリアには1579基(国内の34%…
関東(1都6県)にある100m以上の巨大古墳は、2024年12月現在で、59基。近年、開発で消滅した古墳もあり、60基を下回っていますが、神奈川県を除いて100m以上の古墳が存在しています。巨大古墳の多い県は群馬県で19…
円墳、方墳、前方後円墳など、いろいろな種類のある古墳ですが、なかには上円下方墳(じょうえんかほうふん)という耳慣れない古墳もあります。下段が方形、上段が円形という珍しいスタイルで、国内に数例しかありませんが、最大のものが…
大王墓(天皇陵)は、天皇陵として宮内庁が管理する場合がほとんどで、周濠の外側に拝所が設けられ、内部は立ち入り不可になっています。そんななかで大王墓ながら自由に立ち入ることができるのが、大阪府高槻市にある今城塚古墳(いまし…
愛知県豊橋市牟呂地区にある境松遺跡(さかいまついせき)で、2022年に出土した独立棟持柱建物跡。東日本では3番目に巨大な独立棟持柱建物跡で、最も標高の高い丘の上に位置することから、神殿と推測され、五穀豊穣などを願う祭祀が…