日本最大の「上円下方墳」が埼玉県に!
円墳、方墳、前方後円墳など、いろいろな種類のある古墳ですが、なかには上円下方墳(じょうえんかほうふん)という耳慣れない古墳もあります。下段が方形、上段が円形という珍しいスタイルで、国内に数例しかありませんが、最大のものが…
円墳、方墳、前方後円墳など、いろいろな種類のある古墳ですが、なかには上円下方墳(じょうえんかほうふん)という耳慣れない古墳もあります。下段が方形、上段が円形という珍しいスタイルで、国内に数例しかありませんが、最大のものが…
与論島(よろんじま/鹿児島県大島郡与論町)は、奄美群島にある鹿児島県最南端の島。島の南部の高台にある与論城(よろんじょう、よろんぐすく)は、天然の断崖をそのまま城壁とする琉球風の城。中世は琉球・北山王の勢力圏内にあり、「…
34万人のお城ファンが利用する「ニッポン城めぐり」アプリの膨大なGPS位置情報ビッグデータ(2023年12月1日~11月30日のデータ)をもとに算出した、お城好きが実際に訪れた名城ランキングTOP300。2024年現在の…
長野県埴科郡坂城町(さかきまち)、しなの鉄道・坂城駅前にあるのが、169系S51編成静態保存。昭和43年に国鉄・信越本線の難所、横川駅~軽井沢駅間を走る電車として登場、急行「信州」、「志賀」としてユン用された急行用電車で…
34万人の会員を擁するGPS城郭スタンプラリーアプリ「ニッポン城めぐり」が、『お城ファンが実際に訪れた日本のお城ランキングTOP300(2024年版)』を発表。お城好きが実際に訪れたお城が分かるランキングということで、城…
大王墓(天皇陵)は、天皇陵として宮内庁が管理する場合がほとんどで、周濠の外側に拝所が設けられ、内部は立ち入り不可になっています。そんななかで大王墓ながら自由に立ち入ることができるのが、大阪府高槻市にある今城塚古墳(いまし…
愛知県豊橋市牟呂地区にある境松遺跡(さかいまついせき)で、2022年に出土した独立棟持柱建物跡。東日本では3番目に巨大な独立棟持柱建物跡で、最も標高の高い丘の上に位置することから、神殿と推測され、五穀豊穣などを願う祭祀が…
後漢滅亡後、魏(ぎ)、呉(ご)、蜀(しょく)が分立した中国・三国時代。魏の使節が倭の女王、卑弥呼を目指した記録が、『魏志倭人伝』です。北九州・福岡県あたりまでは当時の王都も特定されているので、Google Map(グーグ…
『魏志倭人伝』には3世紀の倭の女王の都が置かれた邪馬台国(やまたいこく)を中心に、多くの国々が存在したことが記されています。対馬、壱岐をへて海路、北九州に至り、不彌国(ふみこく)から再び「水行二十日」という長旅で投馬國(…
3世紀、中国・三国時代の魏(ぎ)、呉(ご)、蜀(しょく)のうち、魏の使節が倭国を訪ねた記録が『魏志倭人伝』。対馬、壱岐を経て九州・末盧國(佐賀県唐津市)に上陸後、陸路、伊都國(福岡県糸島市)、大国の奴國(春日市)を経て、…
3世紀に三国時代の中国・魏の使節が倭国を訪れた際の記録が『魏志倭人伝』。弥生時代後期に小国が群雄割拠しながら、邪馬台国の配下となっていた時代です。使節は朝鮮半島から対馬、壱岐を経て、末廬國(佐賀県唐津市)へ。さらに陸路で…
全国に広がった善光寺信仰は、本尊の一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)への信心。戦国時代に武田信玄、織田信長、豊臣秀吉も争奪戦を展開したありがたい仏様ですが、その善光寺如来を祀るのが本堂です。実はこの本堂にもトリック、仕掛け…
中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻、通称『魏志倭人伝』に記された魏(220年〜265年)の使節の記録。日本では弥生時代の末期、小国家が形成された時代です。朝鮮半島から対馬、壱岐を経て北九州の末盧國(現・松浦=佐賀…
3世紀の倭(日本)の女王の都が置かれた邪馬台国を探る手がかりとなる『魏志倭人伝』。その記述から朝鮮半島南部から対馬、壱岐を経て、北九州に至る行程がわかっていますが、九州で最初の訪問国となったのは、末廬國(まつらこく)。現…
いずれの宗派にも属さないという善光寺は、かつては「牛に引かれて善光寺参り」といわれましたが、今も全国から多くの信者を集めています。お戒壇めぐりのできる本堂(国宝)を急ぎ足で目指す人が多いのですが、実は参道には数々の仕掛け…
五稜郭(ごりょうかく)は、幕末に箱館(現在の北海道函館市)郊外に建造された西洋式(稜堡式)の城郭。函館を代表する観光スポットで、明治維新の際に官軍と旧幕府軍の攻防でも有名です。ところが、日本にはもうひとつ、五稜郭がありま…
全国の五重塔のなかで国宝に指定される塔は9塔、国の重要文化財に指定は13塔あります。さらに三重塔に国宝13塔、重要文化財43塔、多宝塔に国宝6塔、国の重要文化財35塔を数えます。そのなかで選ばれる「日本三名塔」は、法隆寺…
中国の歴史書『三国志』中にある『魏志倭人伝』は、3世紀後半に記された倭人の記録。朝鮮半島から海を渡ってますは對馬國(現・長崎県対馬市)へ。再び海路目指したのが一支國(いきこく)です。『魏志倭人伝』には「一大國」と記されて…