香深港フェリーターミナル
北海道礼文町、礼文島の玄関口となる香深港にあるのが香深港フェリーターミナル。稚内港からの利礼航路のフェリーが発着するフェリーターミナルです。ハートランドフェリーの「アマポーラ宗谷」(4265トン)などが就航しています。稚…
北海道礼文町、礼文島の玄関口となる香深港にあるのが香深港フェリーターミナル。稚内港からの利礼航路のフェリーが発着するフェリーターミナルです。ハートランドフェリーの「アマポーラ宗谷」(4265トン)などが就航しています。稚…
日本一長い周囲長を持つ汽水湖を探勝する浜名湖遊覧船は、浜名湖北部の舘山寺温泉(静岡県浜松市)の舘山寺港と、フラワーパーク港から出航。運航するのは明治40年に浜名湖巡航船として創業した浜名湖遊覧船。現在では舘山寺温泉などで…
田沢湖(秋田県仙北市)の東岸、美しい白浜にある「田沢湖レストハウス」を起点に、田沢湖を湖上遊覧する田沢湖遊覧船が出航しています。運航するのは、「田沢湖レストハウス」と同経営の羽後交通興業(地元の路線バスを運行する羽後交通…
「東洋のスイス」と呼ばれる諏訪湖(長野県諏訪市、岡谷市、下諏訪町)。諏訪市の上諏訪温泉・湖畔公園にある遊覧船桟橋から下諏訪桟橋、岡谷桟橋を経由し、諏訪湖を一周するのがアルピコグループの諏訪湖観光汽船。巨大な白鳥型の「スワ…
富士五湖の中でもっとも東、そして高所に位置するのが山中湖。富士急行グループの富士汽船が旭日丘桟橋を起点に運航するのが山中湖遊覧船「白鳥の湖」。「日本一の富士の麓 山中湖に 日本一美しい白鳥を浮かばせよう」をコンセプトに、…
富士五湖で最もにぎやかな湖、河口湖(かわぐちこ)は世界遺産富士山(「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」)の構成資産のひとつ。富士急行グループの富士五湖汽船が運航する河口湖遊覧船「アンソレイユ」は、富士急行線河口湖駅から徒歩…
富士五湖のなかで、透明度12mと、もっとも透明度が高いのが本栖湖(もとすこ)。その本栖湖を船上から眺めるのが、富士五湖汽船(富士急行グループ)の本栖湖遊覧船。就航するのは、潜水艦型遊覧船「もぐらん」。湖上を遊覧しながら、…
尾瀬への入口にもあたる奥只見ダムのダムサイト(奥只見遊覧船乗り場)から奥只見周遊コース、銀山平コース(奥只見〜銀山平/所要40分/不定期航路・利用日の1週間前まで、10名以上で奥只見観光に要予約、紅葉シーズンは定期運行)…
清水港(静岡県静岡市清水区)から駿河湾を渡り、一直線で土肥港(伊豆市土肥)を結ぶのが駿河湾フェリー。船上からは富士山の絶景を眺めることができます。わずか70分で、土肥港に入港するので、東名高速道路清水ICと伊豆半島を結ぶ…
駿河湾を横断し、清水港(静岡県静岡市清水区)~土肥港(伊豆市土肥)を70分で結ぶ高速フェリー。静岡県道223号清水港土肥線の扱いで、223(ふじさん)と洒落(しゃれ)た海上県道。県道の標識はフェリーの甲板に設置されていま…
神奈川県横須賀市浦賀にある浦賀港は、江戸時代には廻船問屋が軒を連ねた港町。その浦賀港の東西を結ぶ公営渡船が浦賀渡船(うらがとせん)。浦賀の渡しとも、浦賀海道とも呼ばれる渡し船は、明治11年8月に東西浦賀の17町内会の共同…
兵庫県美方郡香美町にあるJR西日本・山陰本線の駅が餘部駅(あまるべえき)。すぐ横に明治45年3月1日に開通した余部鉄橋があり(現在の橋は平成22年8月12日開通の2代目)、餘部駅の裏山には橋を眺める展望所が設けられていま…
静岡県の富士川、山形県の最上川とともに日本三大急流に数えられる、熊本県の球磨川を手漕ぎの船で下る川下りコース。清流コースは熊本県人吉市下新町の人吉発船場から人吉市温泉町の温泉町着船場まで下るもの。清流とはいうものの、途中…
天草と島原を30分ほどで結ぶ最短ルートが島鉄フェリー(島原鉄道)。その天草(熊本県天草市)側の玄関港が鬼池港です。鬼池港から潮流の速い早崎瀬戸を越えて島原半島(長崎県南島原市)の口之津港を結んでいます。「フェリーくちのつ…
島鉄フェリー(島原鉄道)は、島原半島南端の口之津港(長崎県南島原市)と天草の鬼池港(熊本県天草市)を所30分で結ぶ航路。「フェリーくちのつ」(548t)、「フェリーあまくさII」(620t)の2隻が2つの港を同時出航。島…
毎年12月1日~翌年2月末日、福岡県柳川市で『こたつ舟運航』。柳河城築城の際に築かれた堀を巡るのが柳川の川下り。運航する水郷柳川観光では冬季にこたつ舟を運航。コースは、下百町~御花または沖端までの片道(ただし2月中旬の水…
愛知県豊橋市を流れる一級河川・豊川(とよがわ)に残る渡し舟で、愛知県では唯一現存する渡船が牛川渡船(牛川の渡し)。豊橋創造大学近くの牛川町と大村町を結ぶ豊橋市営の渡船で、渡船料は無料。平安時代から続くといわれる歴史ある渡…
京都の豪商・角倉了以(すみのくらりょうい)は、大堰川(保津川)を開削して丹波と京都を結ぶ水運を考案、慶長11年(1606年)にわずか5ヶ月で工事を完成させる。その水運のルートを利用して明治時代に始まったのが現在の保津川遊…