総持寺
大阪府茨木市にある総持寺は、仁和2年(886年)、中納言・藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)が創建したと伝えられる古刹で西国三十三所22番札所。一条、後一条、白河、鳥羽天皇の勅願寺として栄えましたが元亀2年(1571年)、織…
大阪府茨木市にある総持寺は、仁和2年(886年)、中納言・藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)が創建したと伝えられる古刹で西国三十三所22番札所。一条、後一条、白河、鳥羽天皇の勅願寺として栄えましたが元亀2年(1571年)、織…
兵庫県加西市にある天台宗の古刹、法華山一乗寺(いちじょうじ)。寺伝によれば白雉元年(650年)、孝徳天皇の勅願で法道仙人が開基したと伝えられます(法道仙人は「インドから紫雲に乗って飛来」したと伝わる伝説の渡来僧)。西国三…
寺伝では景行天皇(けいこうてんのう)の御代(古墳時代=仏教伝来以前となりあくまで伝承)にインドから渡来した法道仙人が開基と伝える兵庫県加東市の古刹が播州清水寺(ばんしゅうきよみずでら)。この地は水に乏しく、法道仙人が水神…
西国三十三観音霊場の第24番札所で、聖徳太子の創建と伝わる古刹が兵庫県宝塚市の大本山中山寺。御本尊は十一面観世音菩薩(平安初期)で、インドの勝鬘夫人(しょうまんぶにん)の姿を写した三国伝来の尊像。安産・子授けにご利益あり…
用明天皇2年(587年)、聖徳太子が創建と伝わる古刹が京都の六角堂(紫雲山頂法寺)。西国三十三所第18番札所で、六角堂、六角さんという通称名で通っています。太子沐浴の池の跡といわれ、池のほとりに小野妹子が開いた坊があった…
西国三十三所の第19番札所が革堂(こうどう)と通称される行願寺(ぎょうがんじ)。平安時代の寛弘元年(1004年)創建という京の古刹です。創建当時は一条通りに建っていましたが豊臣秀吉の京の都市改革よって天正18年(1590…
長元2年(1029年)、源算上人が創建した京都・西山の名刹で、後一条天皇より国家鎮護の勅願所とされたのが善峯寺(よしみねでら)。天台宗の単立寺院で、西国三十三所第20番札所。応仁の乱で焼失した寺を再興したのは、5代将軍・…
慶雲2年(705年)、大伴古磨(おおとものこまろ)によって創立されたと伝わる古刹が京都府亀岡市の穴太寺(あなおじ)で、菅原道真も太宰府に流される折に立ち寄っています。西国巡礼を復活させた花山(かざん)法皇(在位984〜9…
耶馬渓最南部の大分県宇佐市院内町西椎屋(にししいや)にある景勝地。円錐形をした山の峰と棚田の風景が、世界遺産であるペルー・マチュピチュの空中都市に似ていることから「宇佐のマチュピチュ」と呼ばれています。「マチュピチュの景…
全国に広がる4万社あまりの八幡宮の総本社が、宇佐神宮(うさじんぐう)。昭和60年に築かれた宝物館には、国指定の重要文化財、県の文化財など社宝数百点を収蔵展示しています。
全国に広がる4万社あまりの八幡宮の総本社が、大分県宇佐市に鎮座する宇佐神宮(うさじんぐう)。別名は宇佐八幡宮で、石清水八幡宮・筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮のひとつに数えられ、豊前国の一之宮にもなってい…
京都、愛宕山系の高雄山の中腹にある真言宗の別格本山が神護寺(じんごじ)。高雄、槇尾、栂尾の三尾(さんび)きっての古刹で、天応元年(781年)の創建。もとは平安遷都に尽力した和気清麻呂(わけのきよまろ)の氏寺で大同4年(8…
京都御苑の西側を通る烏丸通(からすまどおり)に面した護王神社。平安京造営に貢献した、和気清麻呂(わけのきよまろ)が祀られる神社です。護法善神」として祀られたかつての社殿は神護寺の境内にありましたたが、神仏分離令を経て明治…
修学院離宮(しゅがくいんりきゅう)にほど近い天台宗の寺で、比叡山延暦寺の別院が赤山禅院(せきざんぜんいん)。円仁(えんにん=慈覚大師)の遺命により仁和4年(888年)、天台座主・安慧(あんね)が創建。京都御所から見て表鬼…
室町時代初期に活躍した猿楽師・世阿弥(ぜあみ)。父の観阿弥とともに猿楽(現在の能)を大成していますが、足利義教と不仲になり、永享6年(1434年)、72歳の時に佐渡に流されています。その世阿弥が配所された寺とされるのが佐…
「佐渡ヶ島の800年前の世界をリアルに体感」というミュージアムが佐渡市真野地区にある佐渡歴史伝説館。佐渡の風土に溶け込み、豊かな文化を佐渡に伝えた先人がなぜ佐渡に流されたか、奈良時代に始まる佐渡配流の歴史、配流された順徳…
佐渡市(旧畑野町)の小倉地区(小倉ダムの北側)、標高400m前後の急斜面に張り付くように広がる千枚田が小倉の千枚田。江戸時代の初期の慶安3年(1650年)、佐渡金山の繁栄による人口増の米不足で、佐渡奉行の新田奨励策で開田…
沖縄本島南端、沖縄戦跡国定公園の小さな岬が喜屋武岬(きやんみさき/糸満市)。突端、限界を意味する「きゃん」に喜屋武(きやん)という漢字を当てたもの。高さ50m内外の海食崖が続き、断崖の上には昭和47年建造の喜屋武埼灯台が…