大宰府学校院跡
大宰府政庁跡の東、観世音寺との間に位置する水田地帯の小字(こあざ)の名は「学業」で、かつてこのあたりには観世音寺の子院・学業寺があったとされる地。隣接して奈良時代から平安時代にかけての教育機関「大宰府学校院」があったとも…
大宰府政庁跡の東、観世音寺との間に位置する水田地帯の小字(こあざ)の名は「学業」で、かつてこのあたりには観世音寺の子院・学業寺があったとされる地。隣接して奈良時代から平安時代にかけての教育機関「大宰府学校院」があったとも…
天智天皇(てんじてんのう)が約1300年前に九州の政治の中心として創建した役所が大宰府政庁(だざいふせいちょう)。奈良から平安時代にかけて九州を治め、わが国の西の守りとしての防衛を、また外国との交渉の窓口として重要な役割…
筑前国分寺の北東200mに位置する、8世紀中頃につくられた古代の瓦窯跡。741(天平13)年に出された聖武天皇の「国分寺・国分尼寺建立の詔」により、後に造営された筑前国分寺の屋根瓦を焼くために造られたと推測される瓦窯の跡…
岡山県総社市にある標高397mの鬼城山(きのじょうざん)にある古代の山城が鬼ノ城(きのじょう)。山に石垣を組んで、大陸からの侵攻に備えた九州や瀬戸内海に築かれた古代山城(神籠石式山城)のひとつ。とくに鬼ノ城は往時の雰囲気…
九州最大の古墳が存在する西都原古墳群特別史跡公園に整備されたのが宮崎県立西都原考古博物館。建物は、古墳の墓石や石室をモチーフとして建てられています。館内では古墳時代を中心に、時代を追いながら東アジアの一地域としての視点か…
西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)の広がる台地の中央、第五集団にある古墳群内唯一の横穴式石室墓が鬼の窟古墳(おにのいわやこふん)。日向の神話では木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を嫁にと願う悪鬼が、姫の父・大山祇神(おお…
西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)にある女狭穂塚(めさほづか)は、全長176m、後円部直径96m、後円部高さ15mで、九州では最大の前方後円墳。宮内庁は、木花開耶姫(このはなさくやひめ)の陵墓参考地に治定しています。近…
西都市街地の西方、南北にのびる標高60mの洪積層の台地上の東西2.6km、南北4.2kmに分布する319基の古墳が西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)。前方後円墳31基、方墳2基、円墳286基からなっている日本最大級の広…
西都市の観光ボランティアガイド案内所として開設された施設。建物は、前方後円墳を縦に割ったというユニークなフォルムです。館内には西都原の四季折々を写真とともに紹介するコーナーや、パネルや映像による観光案内を用意。パソコンを…
古代の政治の中心は、飛鳥・奈良地域にあったのですが、645年、古代史上で有名な「大化改新」とともに即位した孝徳天皇は、人心を一新して政治を行なうために、古代の国際貿易港である難波津(なにわづ)に近い難波宮に遷都しています…
下関市豊北町、神田岬の砂丘地帯にある弥生時代の墓地遺跡が、土井ヶ浜遺跡。今から二千数百年前の弥生人の集団墓地であったと考えられ、約300体の人骨が出土、石棺や副葬品なども多く、日本人の起源や現代人の成り立ちを探る貴重な遺…
中心部を流れる馬淵川(まべちかわ)と新井田川(にいだかわ)沿いに古代から近世にかけての遺跡が残る八戸市。世界文化遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産となる是川石器時代遺跡のガイダンス施設で、世界遺産関連資産の長七…
青森県八戸市是川中居にある縄文時代の遺跡群が是川石器時代遺跡(これかわせっきじだいいせき)。縄文時代晩期中心の中居遺跡、前期・中期の一王寺遺跡、中期の堀田遺跡の総称が是川石器時代遺跡(是川遺跡)で、国の史跡、世界文化遺産…
741(天平13)年に聖武天皇が全国に設置した国分寺(官寺)。正式名は金光明四天王護国之寺で、東大寺を頂点とする国営の寺院建築の一環です。讃岐国に置かれた讃岐国分寺跡は、全国に3ヶ所しかない国の特別史跡ですが、その全貌を…
741(天平13)年に聖武天皇が諸国に造営を命じた国分尼寺のひとつ。当時の仏教は国教で、寺も国営の寺院。正式名は法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)といい、讃岐国分寺の北東2kmに位置しています。東西180m~21m、南…
741(天平13)年、聖武天皇が発した国分寺建立の詔により日本各地に建立された国分寺のひとつ。「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」が正式名ですが、一般には讃岐国分寺と呼ばれています。後継寺院の…
国衙(こくが)とは古代に国司の勤務した役所のこと。現代風に言い換えれば県庁のような存在。茨城県石岡市にある石岡小学校の校庭など常陸国衙跡の発掘調査では常陸国府の中心地に置かれた役所と倉庫群の跡が発見されています。国府の下…
741(天平13)年の聖武天皇の詔によって68の国ごとに建立された国分寺(こくぶんじ)は、正式には金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)といい、常陸国分寺は、752年(天平勝宝4)年の建立。同年5月…