和銅採掘遺跡

和銅採掘遺跡

慶雲年間(704年〜708年)に武蔵国秩父郡(現・埼玉県秩父市黒谷)から自然銅(にぎあかがね=熟銅)が発見され、708(慶雲5)年正月11日に朝廷(藤原宮)に献上されました。元明天皇は、同日に元号を「和銅」に改元、日本最初の流通通貨となる和同開珎(わどうかいちん・わどうかいほう)を発行。その露天掘りの採掘跡が、和銅採掘遺跡です。

秩父でおこった奈良時代の大発見の跡地が現存!

和銅採掘遺跡
日本通貨発祥の地碑(和同開珎モニュメント)

秩父市黒谷に鎮座する聖神社は、自然銅の採掘にあたり、鉱山守護の金山彦命(かなやまひこのみこと)を勧請して創建したという古社で、和銅山の西に、和銅献上の祝典が挙げられたと伝えられる「祝山」がそびえています。

聖神社横の和銅沢は、銅洗掘。
聖神社から和銅採掘遺跡(和銅採掘露天掘跡)へは日本通貨発祥の地碑(和同開珎モニュメント)を経て徒歩15分。
日本通貨発祥の地碑(和同開珎モニュメント)の横を流れているのが和銅沢で、和銅山中腹まで続く見学道の階段を登れば、断層面をえぐる和銅の採掘溝を俯瞰的に眺めることができます。

和銅産出の場所は、秩父地方の広範囲と推測されますが、黒谷1918番地(和銅山)が和銅を最初に発見した場所と伝えられています。
地質学的には、地殻変動によって秩父古成層と第三紀層の断層面(出牛黒谷断層)に、自然銅が露出するもの。

和同開珎
唐の「開元通宝」を模し、「天地和同」「万物和同」などのめでたい言葉をもとに「和同開珎」が生まれました。
発見者の一人、新羅系の帰化人と推測される金上无(こんじょうむ)は、官位がない无位(むい)から津島朝臣堅石とともに従五位下へという大出世。
発見の翌年、709(和銅2)年にはなんと、伯耆国(ほうきのくに=国府は現在の鳥取県倉吉市)の国司・伯耆守(ほうきのかみ)に任命されています。
大原廃寺(鳥取県倉吉市大原)や大御堂廃寺(倉吉市駄経寺町)という古代・伯耆国の新羅系寺院は、金上无ゆかりの寺とも推測できます。
さらに和銅の発見は、罪人の大赦、発見者の恩賞、昇叙などとともに、秩父郡の庸(力役の代納物)と調(特産物貢納)、武蔵国の庸を免除するという大盤振る舞いを生むほどの、国家高揚を支える大事件だったのです。


和銅採掘遺跡
名称 和銅採掘遺跡/わどうさいくついせき
所在地 埼玉県秩父市黒谷1918
関連HP 秩父市公式ホームページ
電車・バスで 秩父鉄道和銅黒谷駅から徒歩15分
ドライブで 関越自動車道花園ICから約19km
駐車場 20台/無料、聖神社駐車場(50台/無料)
問い合わせ 秩父市教育委員会事務局 TEL:0494-22-2481/FAX:0494-23-9294
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
日本通貨発祥の地碑(和同開珎モニュメント)

日本通貨発祥の地碑(和同開珎モニュメント)

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和銅黒谷駅

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2023年9月5日
藤原宮跡

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