上毛野はにわの里公園(保渡田古墳群)

高崎市保渡田・井出地区の田園地帯にある二子山古墳、八幡塚古墳、薬師塚古墳の3つの前方後円墳の総称が保渡田古墳群(ほとだこふんぐん)。西光寺境内となった薬師塚古墳を除く一帯は広さ12.9haの歴史公園「上毛野はにわの里公園」として整備されています。「日本の歴史公園100選」にも選定。

東日本屈指の前方後円墳3基を中心とした歴史公園

国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

保渡田古墳群の前方後円墳は、いずれも墳丘長が100mもある大きなもので、二重の濠を巡らし、多量の埴輪を並べていたと推測されています。
東日本でも有数の古墳で、国の史跡に指定。
八幡塚古墳は、築造当時のままに復元されています。

墓に埋葬されているのは、1500年前(5世紀後半)のこの地の豪族(王族)。
古墳時代、上毛野国(かみつけのくに)は、東国文化の中心地。
榛名山南東地域一帯を治めた豪族(王族)は、車持氏(くるまもちし)で、一帯は車郡(くるまさと)と呼ばれ、それが現在の群馬県という県名に通じています(当初は「群馬=くるま」でした)。

園内には、保渡田古墳群のほか、かみつけの里博物館、はにわ工房、はにわ窯、群馬県立土屋文明記念文学館、土屋文明歌碑、山村暮鳥詩碑などがあります。

保渡田古墳群から南東約1km付近では、上越新幹線の建設に伴い、豪族の館が発掘されています。
一辺が86mの方形を幅30m、深さ4mの濠で取り囲む古代の豪族の館跡「三ツ寺1遺跡」で、保渡田古墳群に葬られた豪族(王族)の館だと推測されています。
日本ではじめて発見された古代の豪族(王族)の館ですが、5世紀後半に隆盛を極めたこの王家は、その後、榛名山の2度の大噴火(6世紀に二ツ岳火口から2回の大噴火)によって、転居もしくは衰退したと考えられています。

上毛野はにわの里公園(保渡田古墳群) DATA

名称 上毛野はにわの里公園(保渡田古墳群)/かみつけのはにわのさとこうえん(ほとだこふんぐん)
所在地 群馬県高崎市保渡田町2000-1
関連HP 高崎市公式ホームページ
電車・バスで JR前橋駅から関越交通バス土屋文明記念文学館行きで27分、かみつけの里博物館前下車
ドライブで 関越自動車道前橋ICから約6km
駐車場 100台/無料
問い合わせ 群馬支所建設課TEL:027-373-2461/FAX:027-373-8448
高崎市公園緑地課TEL:027-321-1272
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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