伊豆国の国分寺は、三島にあり!
古代の伊豆国(伊豆半島)の中心がどこだったかといえば、東海道沿いの三島。 ダテに新幹線が三島に停車するワケではないようです。 天平13年(741年)に聖武天皇の詔勅で諸国にひとつずつ建立された国分寺。 伊豆国分寺跡は三島…
古代の伊豆国(伊豆半島)の中心がどこだったかといえば、東海道沿いの三島。 ダテに新幹線が三島に停車するワケではないようです。 天平13年(741年)に聖武天皇の詔勅で諸国にひとつずつ建立された国分寺。 伊豆国分寺跡は三島…
国分寺と国分尼寺といえば奈良時代、聖武天皇で諸国に建立を命じた寺。 天平年間(729年〜749年)は災害や疫病(天然痘)が多発したため、聖武天皇は仏教に深く帰依。 天平13年(741年)には国分寺建立の詔を出したのです。…
因幡国庁跡の南に建つ、黄檗宗の寺、最勝山国分寺一帯が古代の国分寺の跡。現在の国分寺は広い寺域の南西に位置し、東側に金堂や塔などの伽藍があったと推測されています。741(天平13)年、聖武天皇の勅願で諸国に建立された官寺の…
下総国の国府の遺構はまだ見つかっていませんが、下総国の総社があったのは、かつて六所の森と呼ばれた一帯(現在の市川市スポーツセンター野球場一帯)。現在もその跡地とされる場所が特定されています。では、国府(国庁)はどこにあっ…
古代には下総国の国府があった市川市にある寺で、前身は、741(天平13)年、聖武天皇の詔により、国家鎮護のために諸国に建立された国分寺(金光明四天王護国之寺)。平安時代に、国分寺は衰退し、その後真言宗豊山派の寺として再興…
741(天平13)年、聖武天皇の詔により、国家鎮護のために諸国に建立された国分尼寺(法華滅罪之寺)のひとつ。諸国に建立された初期の国分尼寺としては最大規模を誇っています。回廊など一部の建物が復元されるほか、金堂の基壇など…
741(天平13)年、聖武天皇の詔により、国家鎮護のために諸国に建立された国分寺(金光明四天王護国之寺)のひとつ。国庁とともに上総国の最大の建築物で、中門、金堂、講堂が南北に一直線に並び、中門左右から出た回廊が金堂に達し…
前身は、741(天平13)年、聖武天皇の詔により、国家鎮護のために諸国に建立された国分寺(金光明四天王護国之寺)。往時の上総国分寺は伝承では平将門(たいらのまさかど)の乱で焼亡し、室町時代までに荒廃。現在の国分寺は、元禄…
市原市役所周辺の台地は古代の上総国(かずさのくに)の政治、文化の中心地。741(天平13)年、聖武天皇の詔によって全国に造営された国分寺(金光明四天王護国之寺)と国分尼寺(法華滅罪之寺)は、現在の市役所周辺で遺構が発見さ…