岡谷蚕糸博物館シルクファクトおかや
長野県岡谷市郷田1丁目、日本の近代化に大きく貢献した諏訪・岡谷の蚕糸業を後世に伝えるミュージアムが、岡谷蚕糸博物館シルクファクトおかや。諏訪式繰糸機(すわしきそうしき)の考案で、岡谷は一大製糸業地に発展、岡谷で生産された…
長野県岡谷市郷田1丁目、日本の近代化に大きく貢献した諏訪・岡谷の蚕糸業を後世に伝えるミュージアムが、岡谷蚕糸博物館シルクファクトおかや。諏訪式繰糸機(すわしきそうしき)の考案で、岡谷は一大製糸業地に発展、岡谷で生産された…
長野県茅野市豊平、国の特別史跡「尖石石器時代遺跡」を構成する尖石遺跡と与助尾根遺跡の間に建つのが、茅野市尖石縄文考古館。八ヶ岳山麓の縄文文化を詳しく解説するほか、出土品を展示。なかでも中ッ原遺跡出土の国宝土偶「仮面の女神…
長野県茅野市湖東花蒔、蓼科高原の入口、ビーナスラインから少し南に入ったところにある縄文時代の遺跡が、中ッ原遺跡。平成12年8月23日に出土、平成26年に国宝に指定された土偶「仮面の女神」で知られる遺跡で、中ッ原縄文公園と…
長野県茅野市豊平、茅野市尖石縄文考古館の南側に位置するのが、尖石遺跡(とがりいしいせき)。縄文時代中期の集落遺跡で、車道(縄文の道)を隔てた茅野市尖石縄文考古館の北側には竪穴住居6棟が復元された与助尾根遺跡があり、一帯が…
長野県茅野市豊平、茅野市尖石縄文考古館の北側に位置するのが、与助尾根遺跡。縄文時代中期の集落遺跡で、車道(縄文の道)を隔てた南側には有名な尖石遺跡(とがりいしいせき)で、一帯が国の特別史跡・尖石石器時代遺跡です。与助尾根…
今や全国に数ある塩羊羹。その塩羊羹の元祖が明治6年創業の下諏訪温泉(長野県諏訪郡下諏訪町)の「新鶴本店」です。諏訪神社下社秋宮に隣接する新鶴本店の初代・河西六郎が考案。北海道十勝産の小豆を厳選し、地元茅野(ちの)の天然寒…
白馬乗鞍岳の東南山腹(長野県小谷村)、標高1829mに位置する栂池自然園(つがいけしぜんえん)は、ゴンドラリフトとロープウェイを乗り継ぎ到達できる雲上の湿原です。この栂池自然園入口に建つ「栂池山荘」の売店ヒット商品、そし…
長野県安曇野市明科、昭和63年に東側の山中を第1白坂トンネル、第2白坂トンネルで抜けるようになった篠ノ井線の廃線跡は、現在、旧国鉄篠ノ井線廃線敷遊歩道として整備され、廃線跡ウォーキングが可能。途中にはレンガ造りのトンネル…
長野県安曇野市明科、国道403号・潮沢川(犀川の支流)沿いにあるのが、篠ノ井線廃線敷・けやきの森自然園。昭和63年に東側の山中をトンネルで抜けるようになった篠ノ井線の廃線跡にある仮設駅跡の公園で、往時の鉄道林が現存。廃線…
長野県安曇野市明科、国道403号・潮沢川(犀川の支流)沿いにあるのが、篠ノ井線廃線敷・潮沢信号場跡(うしおざわしんごうじょう)。昭和63年に東側の山中をトンネルで抜けるようになった篠ノ井線の廃線跡にあるスイッチバック式の…
長野県安曇野市明科、国道403号・潮沢川(犀川の支流)沿いにあるのが、篠ノ井線廃線敷・漆久保トンネル(うるしくぼとんねる)。昭和63年に東側の山中をトンネルで抜けるようになった篠ノ井線の廃線跡にあるレンガ造りのトンネルで…
長野県安曇野市明科、明科駅・龍門渕公園の北東、国道19号と国道403号の分岐点近くにあるのが、篠ノ井線廃線敷・三五山トンネル。昭和63年に東側の山中を第1白坂トンネル、第2白坂トンネルで抜けるようになった篠ノ井線の廃線跡…
長野県南佐久郡佐久穂町にあるJR小海線の駅が、海瀬駅。高原列車で有名な小海線は、JRではもっとも標高の高い高原地帯を走る路線ですが、海瀬駅は駅名に海が付くものの、日本一海から遠い駅。駅は、山中にある「日本で海から一番遠い…
パラボラ(parabola)とは放物線のことで、パラボラアンテナは、放物曲面をしたアンテナの意。パラボラアンテナの利得(gain/ゲイン)は半径の2乗に比例するため、大型のものが最適。空気が澄んだ高所で、しかも雪が少ない…
長野県佐久市前山、蓼科山の大河原峠へと登る蓼科スカイライン途中、標高1580mの地点にあるのが、JAXA美笹深宇宙探査用地上局(じゃくさみささしんうちゅうたんさようちじょうきょく)。口径54mのパラボラアンテナが1基あり…
長野県佐久市、蓼科山の山腹、片貝川沿いの高台にあるのが、JAXA臼田宇宙空間観測所(じゃくさうすだうちゅうくうかんかんそくしょ)。JAXA(宇宙航空研究開発機構)の施設で、直径64mのパラボラアンテナは日本最大。施設外観…
長野県安曇野市堀金烏川、常念岳から流れ出る烏川扇状地の中心部にあるのが、常念道祖神(堀金の道祖神)。JR東日本『大人の休日倶楽部』長野県「安曇野篇」で吉永小百合がサイクリングするシーンが放映され、一躍有名になった道祖神で…
長野県上伊那郡辰野町、澤尻(さわそこ)地区にあるのが、日本最古の道祖神(沢底の道祖神)。「永正二年 入澤底中」と刻まれているので、永正2年(1505年)に造立、銘の入った道祖神としては日本最古ということになるのです。