櫛田神社『節分大祭』、大お多福面が登場!|2025
福岡県福岡市博多区、博多祇園山笠が奉納されることでも有名な博多の総鎮守・櫛田神社で、2025年1月15日(水)~2月16日(日)、名物の「大お多福面」が設置されます。昭和37年から設置が始まった福を呼ぶ「大お多福面」で、…
福岡県福岡市博多区、博多祇園山笠が奉納されることでも有名な博多の総鎮守・櫛田神社で、2025年1月15日(水)~2月16日(日)、名物の「大お多福面」が設置されます。昭和37年から設置が始まった福を呼ぶ「大お多福面」で、…
毎年1月26日頃~2月3日の間、大阪府豊中市刀根山2丁目の市軸稲荷神社(いちじくいなりじんじゃ)で、二ノ鳥居前にお多福門が設置されます。2月3日の『節分祭』に向けて、お多福さんの簪(かんざし)祈願が行なわれ、護摩木や祈祷…
山口県山口市上竪小路、龍福寺(大内氏館跡)の北側に、築山神社と並んで建つのが、八坂神社。応安2年(1369年)、大内氏9代・大内弘世(おおうちひろよ)はが京・祇園感神院 から勧請した祇園社で、もとは大内氏の迎賓…
山口県山口市中尾にある大内氏遺跡の一部として国の史跡に指定されているのが、凌雲寺跡(りょううんじあと)。大内氏14代・大内義興(おおうちよしおき)が了庵桂悟(りょうあんけいご)を開山として、永正4年(1507年)頃に創建…
山口県山口市大殿大路にある曹洞宗の寺が、龍福寺(龍福禅寺)。建永元年(1206年)、弘治3年(1557年)、毛利隆元(もうりたかもと)が大内義隆の菩提寺として再興。一帯は大内氏の居館(大内館)跡で、国の史跡。明治16年に…
山口県山口市大殿大路にある大内氏の居館跡が、大内氏館跡。西の京と称され中世に大内文化を花開かせた大内氏の居館は、大内弘世(おおうちひろよ)が周防(すおう)、長門(ながと)平定後、防長両国の守護となり、正平15年・延文5年…
東京都新島村式根島、式根島の玄関港、野伏港にあるデザイン灯台が、野伏港ふ頭灯台。東京・竹芝桟橋からの「さるびあ丸」、下田港からの「フェリーあぜりあ」、新島とを結ぶ連絡船「にしき」を利用し、野伏港入港時に目にする灯台で、旧…
静岡県伊東市川奈、川奈港の東、川奈ホテルゴルフコース・富士コースの広がる岬の先端に建つ白亜の灯台が、川奈埼灯台。「世界ゴルフ100選」にも選定されるゴルフコース、東北端エクストラホールの脇に建つため、脚がゴルフティーの形…
兵庫県神戸市兵庫区中之島2丁目に令和3年11月3日にオープンした兵庫県のルーツを示す復元施設が、兵庫県立兵庫津ミュージアム・初代県庁館。『兵庫勤番所絵図』などの史料に基づいて時代考証を行ない、歴史空間を体感する施設として…
兵庫県神戸市兵庫区中之島2丁目、現在、イオンモール神戸南が建つ一帯が、兵庫津遺跡(古代大輪田泊跡)。平成15年に兵庫津遺跡(ひょうごのついせき)で古代大輪田泊跡と推測される遺構が発掘され、古代から中世の瀬戸内海航路の港湾…
神奈川県藤沢市江の島、江の島の東端、湘南港防波護岸外端に建つ灯台が、湘南港灯台。湘南港(江ノ島ヨットハーバー)は昭和39年8月18日、東京オリンピックのヨット競技場として整備された港湾で、湘南港灯台も湘南港とともに土木学…
神奈川県三浦郡葉山町堀内、葉山マリーナから海に突き出した堤防の先端にあるのが、葉山港A防波堤灯台。湘南海岸に築かれたデザイン灯台のひとつで、葉山港防波堤赤灯台とも呼ばれています。赤い灯台ですが、デザイン的には葉山マリーナ…
神奈川県中郡大磯町大磯、大磯港から突き出した防波堤の先端にあるのが、大磯港西防波堤灯台。基部のほうが狭く、上部が広いという逆末広がりで、大磯の未来を象徴させたデザイン灯台で、湘南海岸では早川港のおだわら提灯灯台などととも…
神奈川県小田原市早川、早川港から突き出した堤防上にある小田原港2号防波堤灯台が、小田原ちょうちん灯台。すぐ横(早川港側)を西湘バイパス石橋支線の小田原ブルーウェイブリッジがまたいでいます。「小田原ちょうちん」をテーマにし…
神奈川県小田原市早川、小田原港(早川漁港)にあるデザイン灯台が、小田原ちょうちん灯台(小田原港新第1号防波堤灯台)。港湾部の東に赤色の第1号、西に白色の第2号があり、ペアで赤白の小田原ちょうちんを表現しています。残念なが…
2025年1月26日(日)10:30〜、恒例となった別府ロープウェイ・鶴見山上駅周辺を会場に『べっぷ鶴見岳大寒がまん大会』を開催。かき氷早喰い競争、地獄の針仕事、氷柱しがみ付き競争、そーめん早喰いなど、季節外れの過酷な挑…
神奈川県川崎市多摩区東生田1丁目、生田緑地の北端にある横穴墓群が、生田長者穴横穴墓群(いくた ちょうじゃあなよこあなぼぐん)。飯室山の北麓に築かれた横穴墓群で、昭和42年、住宅開発前の調査で3つの小さな谷に、合計32基に…
山口県山口市上宇野令、標高338mの鴻ノ峰に築かれた中世の山城が、高嶺城(こうのみねじょう)。西の京として繁栄した大内氏ですが、戦国時代にはその権勢にも陰りを見せ、大内義長(おおうちよしなが)が山麓の居館に対し詰めの城と…