天空の城展望台
福井県大野市鍬掛(くわかけ)、天空の城として有名な越前大野城を眺める展望台が、天空の城展望台。越前大野城の南西1kmほどに位置する犬山城(戌山城・いぬやまじょう)の南出丸下が展望台として整備されたもの。あくまでハイキング…
福井県大野市鍬掛(くわかけ)、天空の城として有名な越前大野城を眺める展望台が、天空の城展望台。越前大野城の南西1kmほどに位置する犬山城(戌山城・いぬやまじょう)の南出丸下が展望台として整備されたもの。あくまでハイキング…
東京都港区新橋4丁目、東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)のコースでもある日比谷通り沿いにあるのが、浅野内匠頭終焉の地(あさのたくみのかみしゅうえんのち)。陸奥一関藩主・田村建顕(たむらたつあき)の芝愛宕下邸のあった場…
東京都港区高輪2丁目、曹洞宗の寺で、赤穂浪士の墓地のある泉岳寺境内にあるのが、浅野長矩の墓(あさのながのりのはか)。浅野長矩は、江戸城松之大廊下で吉良上野介(きらこうずけのすけ=吉良義央・きらよしひさ)を切りつけた赤穂藩…
東京都港区高輪2丁目、曹洞宗の寺で、赤穂浪士の墓地のある泉岳寺境内にあるのが、首洗い井戸。吉良邸の討ち入りを果たし、本懐成就後、墓前に捧げる前に赤穂浪士が吉良上野介(きらこうずけのすけ=吉良義央)の首級(しゅきゅう)を洗…
東京都港区高輪1丁目、都営高輪アパート内にあるのが、大石良雄外十六人忠烈の跡(おおいしよしおほかじゅうろくにんちゅうれつのあと)。港区高輪地区総合支所、港区立高松中学校一帯は、熊本藩細川家下屋敷跡で、吉良邸討ち入り事件を…
東京都港区高輪1丁目、港区高輪地区総合支所の横(南東側)にある巨木が、旧細川邸のシイ。港区高輪地区総合支所、港区立高松中学校一帯は、熊本藩細川家下屋敷跡で、幹周り8mを超えるスダジイの老木が茂っています。主幹は高さ10m…
福岡県福岡市、天神〜博多〜ウォーターフロント地区(国際会議場・サンパレス前~マリンメッセ前~博多国際ターミナル)を15分間隔で循環する西鉄の路線バスが、福岡BRT(連節バス)。博多港国際ターミナル〜博多駅〜天神〜博多港国…
新潟県新潟市を走る新潟交通のバス路線のひとつが、BRT・萬代橋ライン。新潟駅万代口から、万代シテイ・古町・市役所・白山を経て西区青山に至る路線で、「にいがた新バスシステム」の基幹路線(BRT)。快速便には連節バス「ツイン…
三重県伊勢市、伊勢市駅~伊勢神宮外宮~五十鈴川駅前~内宮を結ぶ三重交通の外宮内宮線 「特急バス」として運行されるのが、 神都ライナー。全長は18m、113名乗りのハイブリッド連節バスで、いすゞ自動車のERGAD…
三重県津市丸之内、津城(お城公園)の城山稲荷神社東側にあるのが、天守台跡。津藩の藩祖となった藤堂高虎は、津城の修築にあたって、天守は構築していないので、天守台は織田信包時代に5層の天守が建っていた跡とも、富田家時代に3層…
三重県津市丸之内、津城(お城公園)に立つのが、藤堂高虎公像(とうどうたかとらこうぞう)。お城公園は津城の本丸と西之丸の跡、そしてそれを取り囲む内堀を公園化したもので、本丸跡に立つのが伊勢津藩の初代藩主となった藤堂高虎の像…
愛媛県今治市通町3丁目、今治城の二の丸東隅に再建されているのが、御金櫓(おかねやぐら)。今治城の遺構は、明治維新後にすべて破却され、現存する建物はすべて昭和55年以降の再建ですが、御金櫓は絵図などを基に昭和60年にコンク…
愛媛県今治市通町3丁目、今治城の三の丸西隅に再建されているのが、山里櫓。今治城の遺構は、明治維新後にすべて破却され、現存する建物はすべて昭和55年以降の再建ですが、山里櫓は平成2年、市制70周年記念事業として建築されたも…
今治市通町3丁目、今治城の本丸跡に鎮座するのが、吹揚神社(ふきあげじんじゃ)。明治維新後に今治城内の建築物はすべて破却されていますが、明治5年11月19日、本丸跡に市内の神明宮、蔵敷八幡宮、夷宮、厳島明神の4社を合祀して…
愛媛県今治市、日本三大水城に数えられ、日本100名城にも選定の今治城(現・今治城吹公園)。博物館となっている模擬天守前に立つのが、藤堂高虎公像(とうどうたかとらこうぞう)。関ヶ原の合戦後に今治を領有した藤堂高虎は、新たな…
愛媛県今治市、日本三大水城に数えられ、日本100名城にも選定の今治城。今治城三の丸大手口にあたる門が、鉄御門(くろがねごもん)。今治城の土橋を渡った先、吹揚神社や天守への入口なので、人も車も24時間出入り可能となっていま…
愛媛県今治市、日本三大水城に数えられ、日本100名城にも選定の今治城内で、もっとも巨大な石が、勘兵衛石。築城の名手・藤堂高虎(とうどうたかとら)によって慶長9年(1604年)に完成した今治城ですが、藤堂高虎の重臣、渡辺勘…
香川県高松市玉藻町、高松城の桜の馬場と三の丸の間にあるのが、桜御門。『高松城下図屏風』に描かれる門で、戦前に国宝(現在の重要文化財)になることが決まっていましたが、昭和20年7月の高松空襲で焼失。令和4年6月に再建され、…