樅木の吊橋
熊本県八代市泉町、五家荘(ごかのしょう)にある親子吊橋が、樅木の吊橋(もみぎのつりばし)。あやとり橋(橋長72m・高さ35m)とその下方のしゃくなげ橋(橋長59m・高さ17m)の総称で、もともとは五家荘の生活道路の一部だ…
熊本県八代市泉町、五家荘(ごかのしょう)にある親子吊橋が、樅木の吊橋(もみぎのつりばし)。あやとり橋(橋長72m・高さ35m)とその下方のしゃくなげ橋(橋長59m・高さ17m)の総称で、もともとは五家荘の生活道路の一部だ…
岡山県真庭市上中津井にある古墳が、大谷1号墳(おおやいちごうふん)。墳丘周囲に3段の外護列石、さらに墳丘前面には2段の石列が巡らされた石積みが5段となった方墳で、あたかもピラミッドのような異色の雰囲気。大谷・定古墳群(お…
兵庫県神戸市須磨区、56kmにもわたって連なる六甲山系(六甲全山縦走路)の最西端に位置するアルペン的な風貌の山並みが、須磨アルプス。横尾山(312.0m)と東山(253m)の間にあるのが、露岩地帯の馬の背です。山陽電鉄須…
東京都大田区蒲田3丁目にある大田区立の公園が、聖蹟蒲田梅屋敷公園(せいせきかまたうめやしきこうえん)。江戸時代に「和中散」(暑気あたり、めまい、風邪などに服用した家庭用常備薬)の売薬所だった敷地3000坪に梅の木数百本と…
熊本県上益城郡山都町、五老ヶ滝川に架かる国の重要文化財・通潤橋(つうじゅんきょう)の下流側に落ちるのが、五老ヶ滝。山都町は美しい滝が数多い「滝の町」にもなっていますが、最大の滝がこの五老ヶ滝。落差50mを誇り、歩道に架か…
熊本県上益城郡山都町にある日の宮(ひのみや)と呼ばれる神社が、幣立神宮(へいたてじんぐう)。健磐龍命(たけいわたつのみこと=阿蘇山の火山神・阿蘇大明神)が、阿蘇に下向した際、この地に祀られたのが始まりという古社。天孫降臨…
大分県竹田市吉田、旧岡藩(現竹田市)に由来する女だるまの工房が、後藤姫だるま工房。その背景には家運隆盛の象徴となった下級武士の妻「綾女の物語」がありますが、現在、姫だるまを制作するのは後藤姫だるま工房。注文してから納品ま…
国東市国東町富来(とみく)の富来神社(とみくじんじゃ)社前にあるのが、開運とみくじみやげ店。「開運ロードとみくじ」(富来港〜文殊仙寺)のパワースポットとしても人気の富来神社ですが、開運とみくじみやげ店では、開運グッズや縁…
大分県国東市国東町富来(とみく)、「開運ロードとみくじ」(富来港〜文殊仙寺)沿いにあり、祇園社、牛頭宮(ごずみや)、八坂神社とも呼ばれている古社が、富来神社(とみくじんじゃ)。富が来る、「富来路」(とみくじ)ということで…
大分県玖珠郡九重町、九重九湯(ここのえきゅうとう)の一湯で、飯田高原にある日本秘湯を守る会所属の一軒宿が、寒の地獄温泉(寒の地獄旅館)。嘉永2年(1849年)から木戸銭(入浴料)を取り始めたという古湯で、北側には長者原(…
長崎県南島原市加津佐町の海岸部、国道251号沿いにある奇岩が、両子岩(ふたごいわ)。は、150万年前(第四紀)に火山活動があった国崎半島の火山に由来する土石流堆積物(国崎安山岩)が、波の浸食によって削られて誕生した人の頭…
長野県下伊那郡大鹿村大河原、南アルプス山中、脇を国道152号が走る青木川にあるのが、中央構造線安康露頭(ちゅうおうこうぞうせんあんこうろとう)。国道152号沿いの駐車場から安康沢に沿って歩道が整備され、その歩道を下れば、…
三重県松阪市飯高町月出にあるのが、中央構造線月出露頭(ちゅうおうこうぞうせんつきでろとう)。紀伊半島の中央部、和歌山県との県境にそびえる三峰山(1235.2m)の西、新道峠へと突き上げるワサビ谷にある、大規模な中央構造線…
愛媛県四国中央市金田町にある古墳が、朝日山古墳。標高165mほどの原峰丘陵の尾根上に築かれた直径17m、高さ4.5mの円墳で、両袖式の横穴式石室(全長7.0m)が開口しており、玄室・玄門・羨道・羨門が良好な状態で完存する…
熊本県八代郡氷川町、野津古墳群(のづこふんぐん)にある最大の前方後円墳が、中ノ城古墳(なかのじょうこふん)。防空壕にも利用されたことで墳丘は改変を受けていますが、墳丘長102mという熊本県屈指の巨大な古墳。国の史跡に指定…
愛知県新城市上平井、織田信長が長篠の戦いの折、最初の本陣としたのが、長篠設楽原古戦場・織田信長本陣跡(極楽寺跡)。設楽原に軍を進めた織田信長は、最初、この極楽寺山に本陣を構えています。極楽寺はそれ以前に焼失しており、後世…
愛知県新城市作手にある臨済宗の寺が、甘泉寺。応安3年(1370年)、三河を行脚した弥天永釈(みてんえいしゃく)が創建したと伝えられる古刹で、境内には樹齢600年以上という高野槇の巨木(国の天然記念物)、そして鳥居強右衛門…
愛知県新城市長篠、曹洞宗の寺・医王寺一帯が、長篠設楽原古戦場・武田勝頼本陣跡。天正3年(1575年)の長篠の戦いの際、医王寺の裏山に武田勝頼は本陣を置いています。丘陵の先端部で比高が30mほどある天然の要害で、長篠城包囲…