明治の酒蔵・酒ミュージアム(白鹿記念酒造博物館)
兵庫県西宮市鞍掛町、「白鹿」で知られる辰馬本家酒造が開設した日本酒をテーマとする博物館が、酒ミュージアム(白鹿記念酒造博物館)。明治の木造蔵を利用した「酒蔵館」、酒に関する資料や笹部さくらコレクション(西宮市より寄託)を…
兵庫県西宮市鞍掛町、「白鹿」で知られる辰馬本家酒造が開設した日本酒をテーマとする博物館が、酒ミュージアム(白鹿記念酒造博物館)。明治の木造蔵を利用した「酒蔵館」、酒に関する資料や笹部さくらコレクション(西宮市より寄託)を…
兵庫県姫路市、姫路城天守の北側、シロトピア記念公園内にある華麗な姫路城をイメージさせる建物のミュージアムが、兵庫県立歴史博物館。丹下健三の設計で昭和55年に開館、平成19年には「交流博物館」を理念とする施設となり、さらに…
兵庫県神戸市兵庫区材木町、兵庫運河をまたぐ和田旋回橋と材木橋の間にある人工の砂浜が、浜っ子きらきらビーチ。正式名称は材木橋東側砂浜ですが、地元小学生が名付けた愛称で呼ばれています。明治32年に完成した兵庫運河ですが、親水…
京都府京都市伏見区深草向ケ原町、大岩山(標高182m)の山上、京都市南部の伏見エリアを一望できる展望地が、大岩山展望所。平成22年3月に誕生した新しいスポットで、「深草エリアのパワースポット」と称される大岩神社の南側にあ…
神奈川県横浜市鶴見区にあるJR鶴見線(鶴見駅〜扇町駅)の駅が、国道駅(こくどうえき)。昭和5年10月28日、鶴見臨港鉄道の駅として開業した駅で、京浜国道との交わる場所にあるのが名の由来です。コンクリート造りの高架駅で、ア…
大阪府枚方市楠葉中之芝2丁目、淀川左岸に幕末の慶応元年(1865年)に完成した、異国船打ち払い用の西洋式稜堡式砲台が、楠葉台場(くずはだいば)。平成17年に古文書から場所が特定され、発掘調査後に、国の史跡に。現在は楠葉台…
福井県坂井市、かつては北前船の出入りで栄えた三国港、三国サンセットビーチの南端に位置する温泉施設が、三国温泉ゆあぽーと。日本海と九頭竜川に面する絶好のロケーションで、大きく窓が取られたふたつの大浴場からの眺望が自慢です。…
福井県勝山市、かつやま恐竜の森 (長尾山総合公園)にある実物大の恐竜模型を展示する施設が、かつやまディノパーク。全長20mのマメンチサウルス(中国大陸に生息した最大級の竜脚類)、全長13mのティラノサウルス(北アメリ…
北海道留萌市大町1丁目、留萌港南側の黄金岬にあるデザイン灯台が、波灯の女(はとうのひと)。全国的にも珍しいブロンズ(青銅)製の女性像で、コンクリート製の台座を含め高さ6.65m(灯高は8.48m)。道路案内表示にも黄金岬…
和歌山県和歌山市、和歌山城の西、紀の川・市堀川沿いの網屋町。ここを南北に貫く和歌山県道15号(新和歌浦梅原線)の高架部分をくぐる人道トンネルの入口に設置されている歩行者用信号機が、「日本一低い」といわれるもの。手の届く高…
徳島県三好市池田町、レトロな町並みの残るうだつ通りにあるミュージアムが、たばこ資料館。明治期の刻みたばこ業者・旧真鍋家住宅を再生したもので、立派な「卯建(うだつ)」がたばこ産業(「阿波の刻み」)の繁栄を表しています。隣接…
徳島県三好市、山深い西祖谷山村(にしいややまそん)にある江戸時代の茅葺き民家を再生したミュージアムが、平家屋敷民俗資料館。西祖谷山村は、平家滅亡後、安徳天皇の御典医・堀川内記(ほりかわないき)が残党とともに入山し、豊富な…
徳島県鳴門市、大塚国際美術館近くの鳴門公園亀浦漁港から出航するうずしお観潮船が、うずしお汽船。渦潮は、潮の干満の差によりできる自然現象で、干満の差が大きいほど、渦潮も大きくなります。うずしお汽船が運航する「高速観潮船」に…
徳島県鳴門市、大毛島・鳴門公園と島田島を結ぶ、全長8.1kmのドライブウェイが、鳴門スカイライン。昭和46年8月に開通した有料道路が前身で、正式名称は徳島県道183号(亀浦港櫛木線)。途中の堀越橋は、穏やかなウチノ海(鳴…
兵庫県尼崎市開明町2丁目にあるのが、尼崎市役所開明庁舎(旧開明尋常小学校校舎)。市民サービスを実施する施設ですが、建物は、昭和12年築の開明尋常小学校校舎を再生したもので、国の登録有形文化財に指定され、1階ではカフェも営…
兵庫県たつの市と相生市の境、瀬戸内海に突き出た金ヶ崎先端の高台にあるのが、万葉の岬展望台。淡路島から家島群島、牛窓と瀬戸内海が180度展望できる絶景スポットで、万葉歌人・山部赤人(やまべのあかひと)の舟旅望郷の歌の舞台で…
関東大震災(大正12年9月1日)からの帝都復興を目指した震災復興道路の軸のひとつ「幹線第四号」が、晴海通り(はるみどおり)。祝田橋交差点(千代田区)から銀座の中央を縦断、銀座四丁目交差点、歌舞伎座前を経て、勝鬨橋(かちど…
関東大震災(大正12年9月1日)からの帝都復興を目指した震災復興道路の軸のひとつ「幹線第三号」が、永代通り(えいたいどおり)。帝都復興第一橋梁の永代橋を渡ることから、永代橋通りと名付けられています。永代通りと旧東海道の中…