旧毛利家別邸表門
山口県萩市堀内にある明治時代建立の門が、旧毛利家別邸表門。もともとは最後の長州藩主となった毛利元徳(もうりもとのり)が明治時代に鎌倉・材木座に建てた別邸とともに大正10年に萩・東田町に移築したもので、昭和49年に現在地に…
山口県萩市堀内にある明治時代建立の門が、旧毛利家別邸表門。もともとは最後の長州藩主となった毛利元徳(もうりもとのり)が明治時代に鎌倉・材木座に建てた別邸とともに大正10年に萩・東田町に移築したもので、昭和49年に現在地に…
山口県萩市堀内、萩市堀内地区伝統的建造物群保存地区に選定される萩城下町の一画、白壁土塀の問田益田氏旧宅土塀近くに建つのが、萩藩永代家老・福原家の萩上屋敷表門。萩城の三の丸に位置し、重臣の武家屋敷が建ち並ぶ堀内でも、現存す…
山口県萩市堀内、萩藩永代家老益田家の分家にあたる、問田益田家の土塀が、問田益田氏旧宅土塀。問田益田家は、問田(現・山口市)を治めていたのでその名がある名家。総延長231.7mと、長い土塀を巡らせた「重臣たちのお屋敷街」・…
山口県萩市堀内、萩を流れる阿武川デルタ(橋本川は派流)の北西端の海沿いに、まるでお椀を伏せたような形状の山(標高141.8m)が、指月山(しづきやま)。日本海を見下ろすこの天然の要塞には、いざというときのための萩城の詰城…
山口県萩市今魚店町、白砂の広がる菊ヶ浜の背後に幕末に築かれた沿岸防備の土塁跡が、菊ヶ浜土塁(女台場)。長州藩(萩藩)は、下関戦争の直後、武士不在の萩で、外国船の襲来に備えて菊ヶ浜に土塁を築くことを住民に命じ、工事には萩藩…
山口県萩市川島、萩城下を流れる橋本川堤防近くにあるのが、山縣有朋誕生地(やまがたありともたんじょうち)。天保9年閏4月22日(1838年6月14日)、萩城下近郊の阿武郡川島村で生まれた山縣有朋。生誕地には「元帥公爵山縣有…
山口県山口市道場門前1丁目、道場門前商店街の一画にある大内塗(おおうちぬり)・大内人形(大内雛)の製造販売所が、桑原大内塗漆器大内人形製作所。店の工房では、大内塗の加飾工程を見学できるほか、家内安全のお守りとして人気が高…
山口県萩市浜崎町、萩城下の北東、松本川の河口に位置する浜崎港一帯のレトロな町並み10.3haが、国の重伝建に選定される、萩市浜崎伝統的建造物群保存地区。萩市内には4ヶ所の重要伝統的建造物群保存地区がありそのひとつですが、…
岐阜県恵那市岩村町、日本三大山城にも数えられる岩村城の城下町・岩村は、江戸時代には東濃地方の政治・経済・文化の中心として栄えた地。岩村町本町2丁目、本町3丁目の全域など14.6haの商家町が恵那市岩村町本通り伝統的建造物…
岐阜県恵那市岩村町にある明知鉄道明知線の駅が、岩村駅。昭和9年1月26日、国鉄明知線阿木駅〜岩村駅間開通時に開業した駅で、中部の駅百選にも選定されています(明知鉄道では終点の明智駅と2駅のみ)。駅構内に腕木式信号機がモニ…
岐阜県恵那市明智町、明知鉄道明知線(恵那駅〜明智駅)の終着駅が、明智駅。明知城、日本大正村の玄関駅で、駅舎横には交流施設「明智駅前プラザ」が建ち、観光の拠点にもなっています。構内に車両基地があるほか、駅近くには明知鉄道本…
東京都昭島市、東京都道59号(八王子武蔵村山線)・多摩大橋の下流側、多摩川左岸(上流から見て)の川岸に広がるのが、牛群地形(ぎゅうぐんちけい)。川の流れに沿うように河底が削られ、削り残った岩場が牛の群れのように見える場所…
山口県長門市、仙崎市街地と青海島を結んで昭和40年10月に開通した海上橋が、青海大橋(おうみおおはし)。深川の土砂が堆積した仙崎砂洲の先端と、青海島の王子山公園とを結ぶ、山口県道283号(青海島線)の橋梁。ブルーに塗られ…
山口県長門市通(かよい)、青海島の東端部・通地区、くじら資料館近くにあるのが、鯨墓(くじらばか)。かつて寄り鯨・流れ鯨といわれるクジラを捕獲し、捕鯨で繁栄した青海島・仙崎一帯。捕獲したクジラの胎児を埋葬したのが鯨墓で、明…
山口県萩市須佐高山、日本海に突き出た岬の先端、海苔石園地から北に続く海岸が、須佐ホルンフェルス。海底に堆積した砂泥互層からなる須佐層群に、高温の火成岩体(高山はんれい岩)が貫入し、その熱で変成作用を受けて誕生した断崖で、…
長野県松本市と塩尻市を通る活断層が、牛伏寺断層(ごふくじだんそう)。松本市街の南西、中山丘陵の西側、牛伏川(うしぶせがわ)沿いで、牛伏寺があるのが名の由来です。糸魚川‐静岡構造線途中で、全長17kmほど(北北西一南南東方…
神奈川県鎌倉市雪の下、小町通り面した昭和43年創業の甘味処が、くるみ。まだ人通り少なかった時代に開店した、小町通りの老舗で、民芸風の店構えで心和む雰囲気の甘味処。餡はもちろん、寒天、白玉も自家製というあんみつは、鎌倉・小…
神奈川県横浜市中区末吉町、明治元年、初代の高橋音吉(たかはしおときち)が鉄なべ使用の牛鍋を創案したという牛鍋(うしなべ)の元祖が、太田なわのれん。幕末に牛肉の串焼きを屋台で売り始めた音吉が、明治元年、煮て食べる方法を考案…