大正洞
山口県美祢市美東町、秋吉台の東北部にある石灰洞穴(鍾乳洞)が、大正洞。戦乱の世に、里人が牛を奪われるのを恐れ、鍾乳洞に牛を隠したことから「牛隠しの洞」との別名も。当時は入口100平米ほどしか知られておらず、大正10年に内…
山口県美祢市美東町、秋吉台の東北部にある石灰洞穴(鍾乳洞)が、大正洞。戦乱の世に、里人が牛を奪われるのを恐れ、鍾乳洞に牛を隠したことから「牛隠しの洞」との別名も。当時は入口100平米ほどしか知られておらず、大正10年に内…
福岡県福岡市東区志賀島、海の中道で渡った志賀島の入口、志賀島海水浴場の南側(博多湾側)にあるのが福岡市営渡船・志賀島旅客待合所。博多ふ頭第1ターミナル〜西戸崎〜志賀島を結ぶ福岡市営渡船が発着。所要30分(直行便は20分)…
長野県松本市、西穂高岳(標高2908.8m)から焼岳へと続く稜線上、標高2367mに位置するのが西穂山荘。北アルプス南部では唯一通年営業している山小屋(個室も完備)で、小屋前にある西穂山荘テント場は、アルプス初心者のキャ…
富山県中新川郡立山町芦峅寺、立山黒部アルペンルートの最高所、標高2450mの室堂ターミナルから徒歩45分、標高2280mほどの場所に位置するのが、雷鳥沢キャンプ場。周辺は雪渓とお花畑(高山植物の群生地)という雲上の別天地…
岩手県一関市東山町、猿沢川・岩手県道106号(前沢東山線)沿いにある鍾乳洞が、幽玄洞。3億5000万年前(古生代中期)の地層に発達する「日本最古の鍾乳洞」といわれ、自然洞窟博物館としてウミユリの萼(がく)などの化石、鍾乳…
長野県松本市安曇、上高地の最奥、奥上高地と呼ばれる徳沢にあるキャンプ場が、徳沢キャンプ場。「氷壁の宿 徳澤園」が運営するキャンプ場で、手ぶらでキャンプ、「みちくさ食堂」の利用も可能。草原となっているのは、昭和9年までは牛…
長野県松本市安曇、上高地バスターミナルから800m(徒歩10分)、上高地のシンボル・河童橋(かっぱばし)までも徒歩5分というバツグンの立地のキャンプ場が、小梨平キャンプ場。森のリゾート小梨とネーミングして日本アルプス観光…
東京都港区六本木5丁目、鳥居坂の東、南北に通る坂道が、於多福坂(おたふくざか)。江戸・東京の坂道の中でもひときわユニークな坂名ですが、坂を下ると途中でいったん緩やかになり、また傾斜が加わって下り道となることから顔の真ん中…
東京都新宿区、JR飯田橋駅横の東京都道405号(外濠環状線)・外堀通りから台地上へと上る坂が、軽子坂。賑やかな神楽坂のひとつ北にある坂で、坂下の江戸城の外堀(飯田濠)に船着き場があり、船荷を軽籠(かるこ=縄を縦横に編み、…
福岡県福岡市東区を流れる多々良川(名島川)に架かる西鉄貝塚線(貝塚駅〜西鉄新宮駅)の鉄道橋が、名島川橋梁(なじまがわきょうりょう)。大正12年、西鉄の前身、博多湾鉄道汽船(湾鉄)が架橋した歴史ある橋で、橋長211.8m、…
福岡市東区名島1丁目、昭和4年3月25日に多々良川河口近くに築かれた水上飛行機専用の飛行場の跡が、名島水上飛行場跡(なじますいじょうひこうじょうあと)。正式名は福岡飛行場で、東京飛行場、大阪飛行場と並ぶ逓信省指定の飛行場…
福岡県福岡市東区を流れる多々良川(名島川)に架かる国道3号の道路橋が、名島橋(なじまばし)。昭和5年3月に逓信省航空局が設置した名島水上飛行場(正式名称は福岡飛行場=水上飛行機専用の飛行場)への導線として昭和8年3月に架…
東京都港区元麻布2丁目と3丁目の間、西側から麻布一本松へと上る坂道が、狸坂(たぬきざか)。江戸時代、人を化かす狸が出没したというのが名の由来で、西から東へ向かう坂のため、日の出を意味する旭坂とも称されていました。
港区元麻布1丁目、赤い靴の女の子・きみちゃん像のある麻布十番・パティオ十番から西の麻布一本松へと上る坂道が、大黒坂。坂の中ほど、北側に慶長2年(1597年)創建で、最澄(伝教大師)作と伝わる三神具足大黒尊天(港区七福神の…
東京都港区麻布十番2丁目から元麻布3丁目を結ぶ坂道が、暗闇坂。坂の途中には赤レンガ造りが素敵なオーストリア大使館があります。坂上の長伝寺前の交差点は、「麻布一本松」を目印に暗闇坂、大黒坂、一本松坂、狸坂と4つの坂道に分か…
岩手県下閉伊郡岩泉町、龍泉新洞は龍泉洞と川を挟んだ対岸で、昭和42年、県道拡幅工事に発見された鍾乳洞。発達した鍾乳石、水流の痕跡の残存など貴重な状態で発見されたことから、龍泉新洞科学館として公開保存され、見学が可能。洞窟…
千葉県柏市箕輪新田、手賀沼の畔、千葉県道8号(船橋我孫子線)の手賀大橋南詰にあるのが、道の駅しょうなん。柏市都市農業センターが道の駅になったもので、地産地消をテーマとした直売所「てんと」、オリジナル料理が味わえるレストラ…
東京都渋谷区代々木5丁目、代々木八幡宮境内にあるのが、代々木八幡遺跡。昭和25年の発掘調査で、多数の遺物とともに住居跡とその内部の柱跡が出土、竪穴式住居が復元されています。フェンス越しとなりますが復元された古代の住居を見…