上田城(上田城跡公園)
1583(天正11)年、真田昌幸が築城した上田城。現在の城郭は真田氏の次に上田藩主となった仙石忠政によって江戸時代初期に復興されたもの。城跡は現在、ケヤキ並木が囲む「上田城跡公園」として整備されています。関ヶ原合戦の際に…
1583(天正11)年、真田昌幸が築城した上田城。現在の城郭は真田氏の次に上田藩主となった仙石忠政によって江戸時代初期に復興されたもの。城跡は現在、ケヤキ並木が囲む「上田城跡公園」として整備されています。関ヶ原合戦の際に…
松代城(海津城/かいづじょう)は武田信玄と上杉謙信が相まみえた川中島合戦の際、1560(永禄3)年に信玄の拠点として築かれ、1622(元和8)年からは真田氏の居城となった城。『甲陽軍鑑』によれば山本勘助の築城。松代城公園…
国の史跡で「日本100名城」にも選定される八戸氏の居城、根城(ねじょう=「史跡 根城の広場」)入口に立つミュージアム。縄文時代から近世を中心に八戸の歴史や文化、民俗を詳しく紹介しています。実際に縄文土器の破片に触ったりで…
青森県八戸市街地の西端、馬淵川南岸の河岸段丘上に築かれた中世の城。後醍醐天皇の皇子・義良親王(のりよししんのう=後村上天皇)を奉じて陸奥国に下向した北畠顕家(きたばたけあきいえ)が南朝方の拠点として築城。南朝方の根本とな…
富士宮市にある古社で、世界遺産富士山(「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」)の構成資産のひとつ。「富士本宮浅間社記」には、浅間大社は山宮の地から遷座したとあり、ここが富士山信仰のルーツと考えられています(浅間大社も含め、全…
富士宮市の村山地区は、富士山における修験道の中心地。そこに鎮座する村山浅間神社は世界遺産富士山(「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」)の構成資産の一つ。富士山の火山活動が沈静化した平安時代の末期、富士山頂に大日堂を建立した…
昔ここに住んでいた田貫長者の庭池だったと伝えられる池。関東大震災後、芝川の水量が減少し、農業用水確保のために昭和10年から沼地に堤防を建設。現在は、水深8m、周囲4.5kmの潅漑用貯水池になっています。逆さ富士で有名で、…
富士山麓では、もっともミステリアスなムードが漂う溶岩洞窟が人穴(ひとあな)で、浅間大菩薩(せんげんだいぼさつ)の御在所とされる富士講の聖地。まつわる伝説も多く、『吾妻鏡』には建仁3年(1203年)には、源頼朝が仁田忠常(…
静岡県富士宮市猪之頭、田貫湖畔から北へ続く、東海自然歩道富士宮コース沿いの五斗目木川(ごとめきがわ/芝川支流)の源流に位置する湧水の滝。1193(建久4)年、源頼朝の富士の巻狩りの際、滝の近くに一夜の陣を敷いたのが滝名の…
国道139号近くにあり、源頼朝の富士の巻狩りの際に曾我兄弟が工藤祐経(くどうすけつね)の仇討ちを密談。滝の音が消えるように念じたら、その音が見事に止まった、という伝説が残されおり、それが滝名の由来に。すさまじい轟音ととも…
断崖から白い絹糸を垂らしたように流れ落ちる優美なさまから、名が付けられたのが静岡県富士宮市の白糸の滝。高さ20m、幅121mで、富士山麓では最大の滝で、滝壺近くまで下りることも可能。川の水は平均水温11度と冷たく、夏でも…
韮崎段丘の中央にこんもりと盛り上がった王仁塚(わにづか)。塚の中央に樹齢約300年のエドヒガンザクラの巨木があり、例年、山高の神代桜と同じ時期(4月上旬頃)に見頃を迎えています。以前はあまり知られていませんでしたが平成1…
中央本線の長坂と小淵沢のなかほどの畑の中にぽつんと立つ桜の巨木が神田(しんでん)の大イトザクラ。種類は神代桜、淡墨桜など長寿桜の代名詞でもあるエドヒガンザクラの変種。樹齢は400年と推測され、山梨県の天然記念物に指定され…
北本市にある、樹高14m、根回り7.4m、樹齢800年以上のカバザクラ(蒲桜)の古木で、国の天然記念物。三春の滝桜(福島県三春町)、山高神代桜(山梨県北杜市)、狩宿の下馬ザクラ(静岡県富士宮市)、根尾谷の淡墨桜(岐阜県本…
富士宮市にある日本一ともいわれるヤマザクラ(山桜)の古木で国の特別天然記念物(学名アカメノシロバナヤマザクラ)。鎌倉に幕府を開いた源頼朝が1193(建久4)年、「富士の巻狩り」を行なった際、馬から下りたところというのが名…
北杜市武川町山高の実相寺境内にあり、三春の滝桜(福島県三春町)、根尾の淡墨桜(うすずみざくら/岐阜県本巣市)と並び「日本三大桜」の一つに数えられている巨桜。推定樹齢は1800年とも2000年ともいわれ、日本武尊(やまとた…
戦国の名将・上杉謙信が居城を構えた春日山。もとは越後守護・上杉氏の要害(ようがい)として南北朝時代の14世紀末に築かれ、守護代である長尾高景(ながおたかかげ)が住んだ鉢が峰城が前身。長尾為景、晴景、長尾景虎(上杉謙信)、…
新発田藩10万石の政庁となった城で、新潟県内では唯一、江戸時代の遺構が現存しています。初代の新発田藩主・溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)が1598(慶長3)年に築城を開始、3代藩主・溝口宣直(みぞぐちのぶなお)の代の1654…