諏訪神社(智頭町)
智頭往来(因幡街道)と備前街道の交わる智頭宿にある古社。鎌倉時代の1278(弘安元)年、信濃国・諏訪の諏訪大社(信濃国一之宮)から分霊を勧請して創建。以来、武家や鎮火の守護神、農業・狩猟の守護神、道中安全の祈願所として崇…
智頭往来(因幡街道)と備前街道の交わる智頭宿にある古社。鎌倉時代の1278(弘安元)年、信濃国・諏訪の諏訪大社(信濃国一之宮)から分霊を勧請して創建。以来、武家や鎮火の守護神、農業・狩猟の守護神、道中安全の祈願所として崇…
中国三十三観音霊場第三十三番札所(中国観音霊場の結願寺)となる天台宗の寺。1650(慶安3)年、鳥取藩祖・池田光仲の創建で、創建当初は淳光院と号していたが、1814(文化11)年に大雲院と改称。鳥取東照宮の別当寺で、往時…
鳥取県鳥取市国府町、袋川(国府川)沿いの中郷集落近くにある古代の因幡国(いなばのくに)の政庁跡。国府町(こくふちょう)、国府川という地名は、一帯が古代に因幡国の国府だったことを物語っています。昭和52年に整然と並んだ掘立…
鳥取市内(鳥取城下)に現存する唯一の武家屋敷門。東町の堀端にあった禄高2000石の鳥取藩士・箕浦家の表門です。明治22年に屋敷に因幡高等小学校女子部が設置され、大正4年に久松尋常高等小学校となった際にも門として活用されて…
1693(元禄6)年、因伯国32万石を領した初代鳥取藩主・池田光仲(いけだみつなか)が逝去し、奥谷(おくだに)の地に埋葬されたことに始まる奥谷御廟。池田光仲を含め11代の藩主とその夫人、東館(ひがしやかた)・西館(にしや…
1508(永正5)年、鳥取城下湯所に草創と伝わる浄土宗の寺で、火事などで度々転地し、1660(万治3)年に現在地に移転。鍵屋の辻の決闘(伊賀上野)で知られる剣豪・荒木又右衛門の菩提寺となっています。鍵屋の辻の決闘の主人公…
1580(天正8)年、羽柴秀吉の因幡平定の際に、陣を築いたと伝わるお城山(天秤山)に建つふるさと創生事業で築かれた模擬天守。1階〜3階は旧河原町を紹介する展示コーナー、最上階が展望台となっています。戦国時代には丸山城があ…
中海に臨む標高90.5mの湊山に築かれた近世の名城で、国の史跡に指定されています。戦国時代末期の1591(天正19)年に吉川広家(きっかわひろいえ)が月山の富田城から城を米子に移し四重櫓を建設したのが始まり。すでに中世的…
6人乗りの小型船に乗船しライフジャケットを着用して・旧加茂川・米子観光ができる遊覧船。出発地点は旧加茂川沿いの白壁土蔵、坂口家土蔵前から。古い下町の町並みを眺めながら川を下って中海(なかうみ)に出るコース。弓ヶ浜半島と島…
天文6年(1545年)、因幡国守護・山名誠通(やまなのぶみち)が千代川を見おろす標高263.0mの久松山(きゅうしょうざん)に築いた城が鳥取城。久松山は花崗岩からなる急峻な山で天然の要害でした。戦国時代には秀吉軍の過酷な…
美保湾と中海を隔てる長大な砂洲でできた海岸。まさに弓のように美しく弧を描いた白砂青松の海岸が、幅4km、長さ20kmにわたって続ています。有名な境港、皆生温泉(かいけおんせん)もこの一角に。弓ヶ浜の東端に河口がある日野川…
安全性と水質の良さを基準に環境庁が選出する「日本の水浴場88選」に選ばれた海水浴場。皆生(かいけ)温泉街のすぐ目の前なので、ホテルから水着で出かける人も多いのが特徴。弓形を描いた美しい砂浜が続き、遠くには大山の姿も眺望す…
国内で確認された野鳥の約40%の鳥が観察できるという山陰屈指の野鳥の生息地が米子水鳥公園。コハクチョウの西日本最大の集団越冬地として知られ、毎年100羽余りのコハクチョウが観測されています。国指定鳥獣保護区、ラムサール条…
日本最古級の壁画が出土したことで有名な上淀廃寺跡の近く、向山古墳群を整備した公園で、2つの丘陵に全長52mの岩屋古墳(向山1古墳)など前方後円墳など総数17基の古墳が点在する因幡国(いなばこく)の古代史ゾーン。5世紀後期…
観音院は鳥取藩主池田家の祈願所だったところで、中国観音霊場32番札所。創建時には栗谷にありましたが、御用地となったため、1639(寛永16)年頃、現在地の上町に移されています。国の名勝に指定された観音寺庭園は、鳥取藩初代…
648(大化4)年創建と伝わる古社で因幡国(いなばのくに)の一之宮。平安時代編纂の『延喜式神名帳』記載の因幡国唯一の名神大社(みょうじんたいしゃ/名神=神々の中で特に古来より霊験が著しいとされる神に対する称号)。つまりは…
弥生時代から古墳時代の大規模な集落跡が遺跡公園として保存されている福市遺跡公園の入口に建つミュージアム。米子市内の福市遺跡、青木遺跡、池ノ内遺跡、陰田隠れが谷遺跡、目久美遺跡、上福万遺跡などから出土した貴重な遺物を展示し…
日野川と法勝寺川の合流地点に臨むなだらかな福市丘陵(標高25m内外の長者原台地)にある弥生時代後期から古墳時代中期にかけての日本最大規模の村落群と古墳群跡。住居跡の数は100戸にも及び、村全体がそのままのかたちで発掘され…