かまたえん・幸せの観覧車
東京都大田区西蒲田7丁目、JR・東急電鉄の蒲田駅に隣接する東急プラザ蒲田の屋上、かまたえんにあるのが幸せの観覧車。昭和43年11月に「蒲田東急ビル」として開業した当初から設置される「蒲田のランドマーク」で、現在のものは2…
東京都大田区西蒲田7丁目、JR・東急電鉄の蒲田駅に隣接する東急プラザ蒲田の屋上、かまたえんにあるのが幸せの観覧車。昭和43年11月に「蒲田東急ビル」として開業した当初から設置される「蒲田のランドマーク」で、現在のものは2…
北海道稚内市中央1丁目、台地上に広がる稚内公園の登り口、稚内港を見下ろす小高い場所鎮座する神社が、北門神社。天明5年(1785年)創建という歴史ある社で、神職が常駐する神社としては日本最北で朱印帳持参で参拝するのもおすす…
埼玉県さいたま市大宮区北袋町1丁目、JRさいたま新都心駅近くにある造幣局(ぞうへいきょく)さいたま支局併設の博物館が、造幣さいたま博物館。造幣局さいたま支局ではお金の歴史、貨幣・勲章の製造工程などを学ぶことができる博物館…
秋田県能代市二ツ井町、仁鮒水沢スギ植物群落保護林(にぶなみずさわすぎきしょうこたいぐんほごりん)にある秋田スギの巨木が、きみまち杉。樹高58m、幹周り5.15m、推定樹齢は200年〜300年。仁鮒水沢スギ植物群落保護林は…
大阪府堺市中区土塔町、奈良時代に行基創建の大野寺に築かれたピラミッド型の仏塔が、土塔。1辺53.1mという巨大な瓦積み基壇の上に、13層の壇を積み上げた特異な形状で、神亀4年(727年)、僧・行基(ぎょうき)が築いたとさ…
奈良県奈良市高畑町、土壇からなるピラミッド型の不思議な塔が、頭塔(ずとう)。奈良時代に聖武天皇が信頼した法相宗の僧・玄昉(げんぼう=入唐僧のひとり)の頭を埋めた墓との伝承があるため、頭塔と称されていますが、本来は、仏塔の…
京都府京都市東山区、訪日外国人観光客や、修学旅行でも人気の清水寺、高台寺(豊臣秀吉と北政所ねねの寺)、八坂神社などを巡る散策路にあたるエリアが、京都市産寧坂伝統的建造物群保存地区。産寧坂(さんねいざか)は、三年坂とも称さ…
青森県青森市、JR青森駅の西側、柳川2丁目に建つレトロな洋館が、青森市森林博物館。建物は、明治41年に建築されたルネッサンス様式の旧青森営林局庁舎。地元青森のヒバ材で造られた重厚な建物で青森ヒバの耐久性を建物自体が証明し…
青森県青森市、青森市とつがる市を結ぶ青森県道2号(屏風山内真部線)沿いに広がる青森ヒバの美林が、眺望山自然休養林(ちょうぼうざんしぜんきゅうようりん)。津軽半島南部、標高143mの眺望山を中心に、日本三大美林の一つ青森ヒ…
北海道虻田郡豊浦町礼文華、日本一の秘境駅と呼ばれる室蘭本線・小幌駅(こぼろえき)から山道を歩き、急坂を下って海岸に降り立って到達する秘境にある洞窟観音が、岩屋観音。円空上人が彫ったとされる仏像が安置されたことで岩屋観音と…
奈良県生駒市、生駒ケーブルの生駒山上駅を降りた先、生駒山(いこまさん)の山頂部は、レトロな飛行塔のある生駒山上遊園地。飛行塔の南、ミニ蒸気機関車の走るSL列車の線路に囲まれるという特異な場所にあるのが、生駒山山頂一等三角…
徳島県海部郡美波町、室戸阿南海岸国定公園特別保護地区に指定される千羽海崖(せんばかいがい)にある秘境的な存在の浜が、外牟井ノ浜(とのむいのはま)。かつてはこの浜にレストハウスが営業し、千羽海崖ロープウェイの山麓駅もありま…
徳島県海部郡美波町、室戸阿南海岸国定公園特別保護地区に指定される千羽海崖(せんばかいがい)。昭和45年4月に徳島県観光開発公社が外牟井ノ浜(とのむいのはま)〜山頂駅・展望台に運行したのが、千羽海崖ロープウェイ。千羽海崖…
京都府京都市右京区、愛宕大権現が鎮座し、火防(ひぶせ)で名高い愛宕山の山麓にある滝が、空也滝(くうやたき)。清滝川支流・堂承川の大杉谷落ちる落差15m、丹波層群下部のチャートに懸かかる直瀑。平安時代(10世紀)に、嵐山に…
京都府京都市右京区、山頂に愛宕神社が鎮座する愛宕山(924m)の南、水尾わかれ近く、標高745mピークの直下にあるのが、愛宕山ケーブル愛宕駅跡。かつての愛宕山鉄道鋼索線(清滝川駅〜愛宕駅/2.13km)の山頂駅(愛宕駅)…
大阪府泉佐野市、関西国際空港の第2旅客ターミナル線(第1 ターミナル〜第2ターミナル)に南海バスが運行するのが、関西空港連節バス。乗車待ち時間の短縮、車内の混雑緩和などを目的に平成29年4月28日に運行が始まったもので、…
愛知県知多市大草にある城跡が、大草城(おおくさじょう)。天正2年(1574年)、織田信長の弟・織田長益(おだながます=織田有楽斎/おだうらくさい)が、尾張国知多郡を与えられ、大草城を築城していますが、小牧・長久手の戦い後…
長野県伊那市、高遠藩が築いた農業用ため池が、六道の堤(ろくどうのつつみ)。幕末の嘉永元年(1848年)、高遠藩主・内藤頼寧(ないとうよりやす)は困窮する財政の回復を目的に、六道原に水路を開削、さらに六道の堤を築いて新田を…