江戸城 富士見櫓(皇居東御苑)
富士見櫓(皇居東御苑)は、江戸城本丸東南隅に位置し、江戸城遺構として残る唯一の三重櫓。現存する三重櫓は、1657(明暦3)年の明暦の大火(振袖火事)での焼失後、1659(万治2)年の再建。どの角度から見ても同じような形に…
富士見櫓(皇居東御苑)は、江戸城本丸東南隅に位置し、江戸城遺構として残る唯一の三重櫓。現存する三重櫓は、1657(明暦3)年の明暦の大火(振袖火事)での焼失後、1659(万治2)年の再建。どの角度から見ても同じような形に…
江戸城の大手側(正面玄関側)の登城ルートをたどると、大手門を過ぎ、大手三の門を抜けると左手に百人番所、右手に中之門跡があります。中之門は、本丸の玄関となる中雀門と一体となって一つの大きな虎口(こぐち=曲折して出入りする狭…
江戸城の大手口の登城ルートで、本丸に至る最後の門が中雀門(ちゅうじゃくもん)。逆にいえば、ここが本丸・表御殿の玄関門となります。大手三の門、中之門を駕籠(かご)に乗ったまま通過を許された徳川御三家(尾張藩、紀州藩、水戸藩…
1606(慶長11)年に江戸城の縄張りされ、翌年完成した江戸城の玄関。1620(元和6)年の江戸城修復に際し、伊達正宗(だてまさむね)らの力により現在のような桝形形式(ますがた=橋を渡ってから道は鍵型に屈曲する)の城門と…
江戸城登城の正面玄関である大手門を入ると江戸城三の丸。三の丸から濠(ほり)に架かった下乗橋を渡ると二の丸入口に大手三の門がありました。下乗橋の手前は広々とした空間で同心番所があり、大名のお供の者の監視をしていました。現在…
江戸城本丸の表御殿大広間から白書院に続いていたのが有名な松之大廊下(松之廊下)。江戸城で2番目に長い廊下で、襖戸に松並木と千鳥が描かれていました。1701(元禄14)年、浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が吉良…
徳川幕府の中枢となる政庁が江戸城本丸の御殿ですが、表御殿・中奥から御鈴廊下でつながっていたのが大奥(おおおく)。将軍の正室、子女や、奥女中(御殿女中)の居住空間だった場所で、映画やドラマにも描かれています。現在は皇居東御…
皇居東御苑内の広々とした芝生が広がる場所は、江戸城の本丸跡。表御殿、中奥(なかおく)、大奥に分かれ、表御殿は、諸役人が執務する幕府行政の中心機関で、将軍の謁見なども行なわれた建物。最も格式の高い「大広間」は正月などに諸大…
江戸城本丸、二の丸、三の丸跡に整備された庭園が皇居東御苑。大手門、平川門、北桔橋門(きたはねばしもん)から入苑できます。度重なる火災で江戸城内の建物はほとんど焼失してしまいましたが、富士見櫓、同心番所、百人番所は現存。同…
江戸城本丸、二の丸、三の丸跡に整備された庭園が皇居東御苑。大手門、平川門、北桔橋門(きたはねばしもん)から入苑できます。度重なる火災で江戸城内の建物はほとんど焼失してしまいましたが、富士見櫓、同心番所、百人番所は現存。百…
江戸城本丸、二の丸、三の丸跡に整備された庭園が皇居東御苑。大手門、平川門、北桔橋(きたはねばし)門から入苑できます。大手三の門を入った中之門には江戸城の中でも最大級の巨石が使用されていますがその脇に位置するのが大番所。番…
江戸城本丸北隅にあった天守(天守閣)は、東西約41m、南北約45m、高さ11mの天守台に建てられていました。日本最高だったという高さ51mの天守を支えた江戸城天守台は黒田長政が築造を担当。石垣は、南部、津軽の二候が築いた…
清洲橋とともに隅田川を代表する美橋として有名な永代橋は、関東大震災後の帝都復興事業として、大正15年に竣工。全長185mのタイド・アーチ橋で、ドイツのライン川に架かっていたルーデンドルフ橋(Ludendorffbrück…
明治神宮は実は社殿のある、内苑、そして国立競技場のある外苑に分かれていますが、広大な内苑の社殿南側に位置するのが「御苑」といわれる庭園エリア。実は、明治神宮は、江戸時代には熊本藩加藤家下屋敷、そして彦根藩井伊家下屋敷のあ…
明治神宮の御苑に湧く湧水の井。水温は通年15度前後と一定で、毎分60リットルという豊富な水量を誇っています。この清正井は、江戸時代の初めに加藤清正が掘ったと伝えられる伝説の井戸ですが、井戸の写真を撮って、画像を待ち受け画…
熱海の海岸沿いにある熱海サンビーチ横、お宮緑地に設置された像。2代目「お宮の松」とともに熱海の観光名所の一つ。尾崎紅葉が読売新聞に明治30年1月1日〜明治35年5月11日まで連載した長編小説『金色夜叉』で、主人公・間貫一…
熱海サンビーチを背にし、ホテルの建ち並ぶ国道135号沿いに植えられている、お宮の松。横には尾崎紅葉作の未完の人気新聞小説『金色夜叉』(明治30年〜明治35年に読売新聞に連載)の有名な一場面、主人公の貫一がお宮を蹴っている…
富岡八幡宮の西に位置する深川公園。入口に自転車が駐輪され、子供を遊ばせる姿を目にする公園ですが、江戸時代は富岡八幡宮の別当(神社を管理する寺)、永代寺がありました。往時にはこのあたりが海岸線で、永代島という島の寺という意…