千葉県船橋市に鎮座する下総国(しもうさのくに/千葉県北部・茨城県西部)の二之宮が二宮神社。社伝によれば、弘仁年間(810年~824年)、嵯峨天皇の勅命により創建されたという古社。平安時代編纂の『延喜式神名帳』に「下総国千葉郡寒川神社」と記載されるのは二宮神社と推測されています。
丑年・未年には『下総三山の七年祭り』斎行
祭神は、建速須佐之男命 (たけはやすさのおのみこと)、櫛稲田比売命(くしなだひめのみこと)、大国主命 (おおくにぬしみこと)で、治承4年(1180年)、藤原師経(ふじわらのもろつね)が左遷の際、左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)を合祀したと伝えられている。
藤原時平は昌泰の変で菅原道真を讒言で大宰府へ左遷させたという平安時代前期の公卿。
つまりは菅原道真の政敵で、天神信仰の隆盛と、後世に大悪人と描かれたことで、天満宮の信者は、二宮神社には参拝しなかったとも伝えられています。
天正19年(1591年)には徳川家康から朱印地10石を与えられ、江戸時代には歴代将軍の尊崇もありました。
6年に一度(数え年で考えると7年ごと)、丑年(うしどし)と未年(ひつじどし)に齋行される『下総三山の七年祭り』は、馬加城(まくわりじょう/千葉市幕張にあった城跡だが遺構は残っていない)の城主・陸奥守康胤(むつのかみやすたね=千葉康胤)の安産祈願に由来。
4市にまたがる9神社が参加する盛大な祭礼で、二宮神社が父、子安神社(千葉市花見川区)が母、子守神社(千葉市花見川区)が子守、三代王神社(千葉市花見川区)が産婆、菊田神社(習志野市)が叔父、大原大宮神社(習志野市)が叔母、時平神社(八千代市)が長男、高津比咩神社(八千代市)が娘、八王子神社(船橋市)が末息子と、役割も決まっています。
東側に隣接する神宮寺は、神仏習合時代(明治初年の神仏分離以前)に二宮神社の別当(神社を管理する寺)。
ちなみに、下総国の国府は、現在の千葉県市川市の国府台公園にあったとされ(現在の国府台球場近くに国庁)、和洋女子大学、千葉商科大学のキャンパスから遺構の一部と推測されるものが発掘されています。
下総国分寺跡、下総国分尼寺跡も市川市国分に、国司が参拝した総社は六所神社 (市川市須和田)だとされています。
一之宮は、香取神宮(香取市)で、二之宮は二宮神社と、もうひとつ旭市に鎮座する玉崎神社(たまさきじんじゃ)が論社(二之宮と推測される社)となっています。
二宮神社 | |
名称 | 二宮神社/にのみやじんじゃ |
所在地 | 千葉県船橋市三山5-20-1 |
関連HP | 二宮神社公式ホームページ |
電車・バスで | JR津田沼駅から京成バス二宮神社行きで20分、または、習志野新京成バス二宮神社前行きで30分、終点下車 |
ドライブで | 京葉道路幕張IC、武石ICから約5km |
駐車場 | 40台/無料 |
問い合わせ | 二宮神社 TEL:047-472-1213 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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