千葉県香取市香取にある全国にある香取神社の総本社で、古代には大和朝廷の東国経営の一翼を担った香取神宮。香取神宮の一の鳥居が利根川に面して立つ津宮浜鳥居。香取神宮の祭神・経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、海路ここ津宮浜鳥居河岸から上陸されたと伝えられています。
香取神宮の祭神はここから上陸
出雲の国譲り神話の中で、出雲に赴いたとされるのも武甕槌命(たけみかづちのみこと=鹿島神宮鎮座の鹿島神)と、経津主命(ふつぬしのみこと=香取神宮鎮座の香取神)。
その武神たる神の武威に屈し、出雲を支配する大国主命(おおくにぬしのみこと)が従うことになったというのが国譲り神話で、その後、大和朝廷の東北平定に際して、両神が鎮座したのが鹿島神宮、香取神宮。
鎮護国家の神として大和朝廷の東国経営の一翼を担うにあたり、派遣されたとも推測でき、その際に上陸したのが津宮浜ということに。
12年に一度、午年(うまどし)に行なわれる『式年神幸祭』には、ここから神輿(神様が乗った輿)をのせた御座船が大利根を遡ります。
舟運が盛んな時代、そして江戸時代に隆盛した利根川舟運を活用しての東国三社参り(鹿島神宮、香取神宮、息栖神社を巡拝する風習)では、この津宮浜に上陸しています。
渡辺崋山(わたなべかざん=三河国田原藩の家老、画家・蘭学者)、赤松宗旦(あかまつそうたん=『利根川図志』、『銚子日記』を執筆した医師)、横田柳几(よこたりゅうき=俳人、『つくば紀行』の著者)、小林一茶(こばやしいっさ=俳人)、河東碧梧桐(かわひがしへきごとう=俳人・随筆家、正岡子規の高弟)など多くの文人墨客が津宮を訪れています。
現在の鳥居は、平成14年月、式年大祭記念事業として、香取神宮の用材で立て替えられたもの。
岸には津宮浜鳥居河岸の灯台の役目を果たした常夜燈や、与謝野晶子の歌碑(「かきつばた 香取の神の 津の宮の 宿屋に上る 板の仮橋」/『青海波』に収録)が立ち、往時の賑わいを偲ぶことができます。
与謝野晶子・鉄幹夫婦は新詩社の同人と、明治44年5月、犬吠埼の「大新楼」(現在の大新旅館)に一泊。
蒸汽船で利根川を遡り、津宮浜鳥居河岸から香取神社を訪れ、佐原で、講演会と短歌会を開き、佐原から汽車で上野に帰っています。
津宮河岸の常夜燈は、日本遺産「北総四都市江戸紀行 ~江戸を感じる北総の町並み~」の構成資産にもなっています(北総四都市=佐倉、成田、佐原、銚子)。
赤松宗旦『利根川図志』津宮河岸
香取神宮一の鳥居水中に建てり。(是より香取へ陸十六丁)。
三社参詣の人、この河岸より上り神宮へ參詣す。
津宮の名義は、當所に竈神社といふありて、香取志に、奥津彦神・奥津姫神を祭れり。
此神は古事記に、須佐之男命の孫大年神の子なり。
延喜式に、竈神仁座、従五位上大邑刀自、次に小邑刀自云々。やしろをもと津宮といふ。
香取神宮・津宮浜鳥居 | |
名称 | 香取神宮・津宮浜鳥居/かとりじんぐう・つのみやはまとりい |
所在地 | 茨城県鹿嶋市宮中2306-1 |
関連HP | 香取神宮公式ホームページ |
電車・バスで | JR香取駅から徒歩10分 |
ドライブで | 東関東自動車道佐原香取ICから約4.5km |
問い合わせ | 香取神宮社務所 TEL:0478-57-3211/FAX:0478-57-3214 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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