香取神宮・要石

香取神宮・要石

千葉県香取市香取にある全国にある香取神社の総本社で、古代には大和朝廷の東国経営の一翼を担った香取神宮。香取神宮境内西方に配された霊石、要石(かなめいし)は、下総国に数多い地震を鎮めるために置かれた凸型の石。鹿島神宮には凹型の要石があり、対になっています。

大和朝廷の東国経営で、地震鎮護が急務だった!?

香取神宮・要石

古来、地震は地中に棲む大鯰(おおなまず)が起こすものと考えられ、地中に深く石棒を差し込み、大鯰の頭から尾を刺し通したのがこの要石。
見た目は小さいのですが、貞享元年(1684年)、徳川光圀が香取神宮を参拝した際、要石の周囲を掘らせましたが根元には届かなかったと伝えられ、かなり奥深くまで石が延びていると推測できます。

平城京(奈良の都)の守護と国民の繁栄を祈願するために創建され、中臣氏・藤原氏の氏神を祀る、春日大社。
第一殿の祭神・武甕槌命(たけみかづち=藤原氏守護神、常陸国鹿島の神・鹿島神宮の祭神)、春日大社第二殿に祀られる経津主命(ふつぬしのかみ=藤原氏守護神、常陸国鹿島の神・香取神宮の祭神)という関係があり、香取神宮本殿に祀られているのは、経津主命。

武甕槌命(鹿島神)と、経津主命(香取神)が、地中に深く石棒を差し込み、大鯰の頭尾を刺し通して地震を起こす大鯰を制したと伝えられています。

出雲の国譲り神話の中で、出雲に赴いたとされるのも武甕槌命(鹿島神)と、経津主命(香取神)。
その武神たる神の武威に、出雲を支配する大国主命が従うことになったとされ、大和朝廷の東北平定に際して、鎮座したのが鹿島神宮、香取神宮。
鎮護国家の神として大和朝廷の東国経営の一翼を担うにあたり、懸案だったのが地震鎮護。
そのため、神の武威を示すためにもこの要石が重要な役割を担ったと推測できます。

香取神宮・要石
名称 香取神宮・要石/かとりじんぐう・かなめいし
所在地 千葉県香取市香取1697
関連HP 香取神宮公式ホームページ
電車・バスで JR香取駅から徒歩25分。または、JR東京駅八重洲南口から関鉄グリーンバス「あそう号」鉾田駅行きで、1時間11分、香取神宮前下車、徒歩5分。JR東京駅八重洲口から京成・千葉交通バス銚子行き小見川ルートで、1時間24分、佐原香取(香取IC)下車、徒歩15分
ドライブで 東関東自動車道佐原香取ICから約1.6km
駐車場 300台/無料
問い合わせ 香取神宮社務所 TEL:0478-57-3211/FAX:0478-57-3214
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
香取神宮

香取神宮

古くから神話に登場、古代にはヤマト王権や朝廷の東国支配の拠点にもなった古社が、千葉県香取市に鎮座する香取神宮。社伝によれば創建は神武天皇18年(紀元前643年)という東国屈指の歴史を誇ります。下総国一之宮で、全国に約400社ある香取神社の総

香取神宮・楼門

香取神宮・楼門

千葉県香取市香取にある全国にある香取神社の総本社で、古代には大和朝廷の東国経営の一翼を担った香取神宮。現存する香取神宮の丹塗り(にぬり)の楼門は、本殿と同じく元禄13年(1700年)に造営されたもので、国の重要文化財。香取神宮のシンボル的な

香取神宮本殿

香取神宮・本殿

千葉県香取市香取にある全国にある香取神社の総本社、香取神宮。現存する香取神宮の本殿は、楼門と同じく元禄13年(1700年)、5代将軍・徳川綱吉の命によって造営されたもので桃山様式を色濃く残し、この時期の神社建築を代表する建物として国の重要文

香取神宮・津宮浜鳥居

香取神宮・津宮浜鳥居

千葉県香取市香取にある全国にある香取神社の総本社で、古代には大和朝廷の東国経営の一翼を担った香取神宮。香取神宮の一の鳥居が利根川に面して立つ津宮浜鳥居。香取神宮の祭神・経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、海路ここ津宮浜鳥居河岸から上陸された

香取神宮・拝殿

香取神宮・拝殿

千葉県香取市香取にある全国にある香取神社の総本社で、古代には大和朝廷の東国経営の一翼を担った香取神宮。本殿の前に建つ拝殿は、内務省神社局が昭和11年からの大修築で造営されたもので(昭和15年築)、国の登録有形文化財。黒漆塗りを基調とし、組物

鹿島神宮・要石

鹿島神宮・要石

香取神宮、息栖神社(いきすじんじゃ)とともに東国三社に数えられるのが鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)。香取神宮同様に境内には要石と呼ばれる霊石があり、この石が地震を鎮める石として信仰されています。古来「御座石」(みまいし)や「山の宮」とも呼ばれた霊

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ