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三柱神社

三柱神社

福岡県柳川市三橋町、祭神に戸次道雪(立花道雪=大友氏の家臣)、その養嗣子で柳川藩藩祖・立花宗茂、道雪の娘で宗茂の妻・誾千代(ぎんちよ)の3柱を祀る神社が、三柱神社(みはしらじんじゃ)。天明3年(1783年)、7代藩主・立花鑑通(たちばな あきなお)が柳川城三の丸に創建したのが始まり。

藩祖・立花宗茂らを祀る立花家ゆかりの神社

創建当初は、柳川城三の丸の長久寺(廃寺)境内に戸次道雪を祀っていましたが、文政3年(1820年)に日吉神社近くに遷座して唯一宮となり、文政8年(1825年)、9代藩主・立花鑑賢(たちばなあきかた)が梅岳社に合祀し、三柱神社となったもの。


立花鑑賢は、社殿の建立にあたり、大工棟梁を日光東照宮、宮島・厳島神社(いつくしまじんじゃ)に派遣。
その結果、流入母屋造りの楼門は日光東照宮の陽明門を、二方唐破風の回廊は厳島神社を模したものになっています。

平成17年の放火で、拝殿、唐門、楼門、回廊を全焼し、本殿のみが立花鑑賢が社殿を整備した創建当時のもの。

柳川藩藩祖・立花宗茂は、関ヶ原の合戦で西軍に与したため、戦後に改易され浪人となりましたが、徳川家康に取り立てられ大名に復帰。
その後、旧領である柳川に移封されたため、西軍に与して旧領に復帰した唯一の武将となっています。
そのため授与品にも「成就守」があります。
また、開運厄除けには神木である梛(なぎ)を使った「梛の葉守り」も用意。
海が凪(なぐ)ぐように心が和(なご)み、困難を「なぎ払う」お守りで、夫婦和合、災難除けに最適とのこと。

10月上旬に3日間に渡って齋行される『秋季大祭』は京都祇園祭の山鉾を模した「どろつくどん」という囃子山車が町を練り歩き『オニギエ』(大賑わいの転)と呼ばれています。
御柱神社近くには柳川川下りの乗船場もあるので、川下りの待ち時間などにも、ぜひ参拝を。

ちなみに藩祖・立花宗茂の墓所は柳川市内の福厳寺(ふくごんじ)と江戸期大名家の墓が集まる圓満山廣徳寺(東京都練馬区桜台/関東大震災で下谷から移転)にあるので、時間が許せば福厳寺にも参詣を。

三柱神社
名称 三柱神社/みはしらじんじゃ
所在地 福岡県柳川市三橋町高畑323-1
関連HP 三柱神社公式ホームページ
電車・バスで 西鉄柳川駅から徒歩12分
ドライブで 九州自動車道みやま柳川ICから約10km
駐車場 三柱神社駐車場(80台/有料)
問い合わせ 三柱神社 TEL:0944-72-3883/FAX:0944-74-0617
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

福厳寺

福岡県柳川市にある黄檗宗(おうばくしゅう)の寺で、旧柳河藩主立花家の菩提寺が福厳寺(ふくごんじ)。柳河藩の藩祖・立花宗茂(たちばなむねしげ)ら歴代の藩主がここに眠っています。本尊は釈迦如来。もともとは曹洞宗でしたが、柳河藩3代藩主・立花鑑虎

柳川川下り(柳川観光開発)

福岡県柳川市、柳河藩の城下町に巡らされた掘割を巡る柳川の川下りには数社ありますが、昭和36年、最初に川下りを始めた老舗が柳川観光開発。川下りのスタートは、三柱神社・松月文人館前、欄干橋(太鼓橋)のたもとの松月乗船場。沖端(おきのはた)または

柳川城

柳川藩(柳河藩)10万9200石の藩庁が置かれた城が、現在の福岡県柳川市にあった柳川城で、水郷柳川の堀を生かした平城。蒲池氏の城主時代に大友氏陣中で「柳川三年肥後三月肥前久留米は朝茶の子」と戯れ歌に歌われた難攻不落の城です。本丸跡は国の史跡

柳川藩主立花邸 御花

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