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木屋瀬宿フィールドミュージアム

木屋瀬宿フィールドミュージアム

福岡県北九州市八幡西区木屋瀬にある長崎街道の木屋瀬宿(こやのせじゅく)。西構口から始まる900mに宿場町が形成され、白壁の古い商家、ノコギリの歯状に道に面している家々、 無料で一般公開されている旧高崎家などがあって全体が木屋瀬宿フィールドミュージアムになっています。

宿場町全体がフィールドミュージアムに

豊前国小倉城下の常盤橋を起点に、肥前国長崎に至る57里(約223.8km)の脇往還が長崎街道。
途中には25の宿場が設置されていましたが、黒崎、木屋瀬(こやのせ)、飯塚、内野、山家(やまえ)、原田(はるだ)が筑前六宿(ちくぜんむしゅく)。
長崎奉行、長崎出島のオランダ商館員、九州諸藩の大名などが通行し、九州内ではもっとも賑わいを見せた宿場です。

なかでも、長崎街道の小倉城下から2番目の宿場である木屋瀬宿(こやのせじゅく)は遠賀川(おんががわ)の河畔に位置し、博多を経て唐津に至る唐津街道が分岐する要衝。

家々がノコギリの歯状に建てられているのは、敵が攻めてきた時に、その凹みに隠れたり不意をついて攻撃したりするための構造で、「矢止め」と呼ばれています。

御茶屋(本陣)、町茶屋(脇本陣)の跡には、「北九州市立長崎街道木屋瀬宿記念館」(みちの郷土史料館・こやのせ座)が建ち、観光の拠点になっています。
「北九州市立長崎街道木屋瀬宿記念館」の大イチョウは、遠賀川舟運で栄えた時代の舟着き場の目印だったもの。
また、梅本家は船庄屋(年貢米の運搬する船を管理)だった家、松尾家は村庄屋(村全体を統括する庄屋)、野口家が問屋場です。

この長崎街道、豊前側では肥前街道、逆に肥前では豊前街道などとも称されますが、貝原益軒の『筑前国続風土記』、伊能忠敬『測量日記』には、長崎街道と記されています。

木屋瀬宿フィールドミュージアム
名称 木屋瀬宿フィールドミュージアム/こやのせじゅくふぃーるどみゅーじあむ
所在地 福岡県北九州市八幡西区木屋瀬3-16-26
関連HP 長崎街道木屋瀬宿記念館公式ホームページ
電車・バスで 筑豊電鉄木屋瀬駅から徒歩5分、JR筑豊本線(福北ゆたか線)筑前植木駅から徒歩15分
ドライブで 北九州都市高速道路馬場山ランプから約3km
駐車場 長崎街道木屋瀬宿記念館駐車場(13台)を利用/記念館北・遠賀川堤防側
問い合わせ 北九州市立長崎街道木屋瀬宿記念館 TEL:093-619-1149/FAX:093-617-4949
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

常盤橋

慶長7年(1602年)、初代小倉藩主となった細川忠興(ほそかわただおき)は小倉城の天守などを建造したのと同時に、紫川の東側に東曲輪を縄張りしています。以前からの城下町だった西側(西曲輪)と結ぶために紫川に橋を架橋。これが常盤橋の始まりです。

曲里の松並木

福岡県北九州市八幡西区、長崎街道の黒崎宿南側に現存する貴重な松並木が曲里の松並木(まがりのまつなみき)。1kmにわたって6000本ほどの松が茂り、街道時代の面影を残しています。樹齢200~300年の老松は残念ながら数本しかありませんが、道幅

長崎街道内野宿

福岡県飯塚市の南端に位置する内野地区。江戸時代には、長崎と小倉を結ぶ長崎街道の宿場町「筑前六宿(むしゅく)」のひとつ、長崎街道内野宿(ながさきかいどううちのしゅく)としてにぎわったところ。長崎からは山家宿(やまえしゅく)と内野宿の間に最大の

 

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