「百舌鳥・古市古墳群」として世界文化遺産に登録される古市古墳群。古代日本の政治文化の中心地のひとつで、大陸への玄関口・難波津を控えた大阪平野に築かれたヤマト王権の大王たちの墓。BEST7のうち6基は200mを超える巨大古墳です。
誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)|応神天皇陵
墳丘長:墳丘長425m/国内第2位
所在地:大阪市羽曳野市誉田3・5・6丁目
宮内庁の名称:惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)
備考:古墳の南側に任那の復興を目指した欽明天皇が創建したと伝えられる、日本最古の八幡宮という誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)が鎮座
仲津山古墳|仲姫命陵
墳丘長:290m/国内第9位
所在地:大阪府藤井寺市沢田4丁目
宮内庁の名称:仲津山陵(なかつやまのみささぎ)=応神天皇皇后の仲姫命の陵
備考:藤井寺市内にある古墳としては最大の前方後円墳
古墳の形態などから応神天皇よりも古い4世紀後半頃とも推測され、応神天皇の皇后・仲姫命の陵墓ではなく、ヤマト王権の大王の墓ということに
岡ミサンザイ古墳|仲哀天皇陵
墳丘長:242m
所在地:大阪府藤井寺市藤井寺4丁目
宮内庁の名称:恵我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ)
備考:5世紀末葉(古墳時代中期)の前方後円墳で、築造当時では全国的に見ても突出する巨大古墳のため、倭の五王(わのごおう=宋の正史『宋書』に登場する倭国の5代の王、讃・珍・済・興・武)最後の武(ぶ=第21代雄略天皇に比定)の墓とも
市野山古墳|允恭天皇陵
墳丘長:230m
所在地:大阪府藤井寺市国府1丁目
宮内庁の名称:惠我長野北陵(えがのながののきたのみささぎ)
備考:築造年代は、出土した埴輪の特徴などから、5世紀中葉から後葉と推測されています(誉田御廟山古墳よりも新しく岡ミサンザイ古墳よりも古い)
墓山古墳|応神天皇陵陪冢
墳丘長:225m
所在地:大阪府羽曳野市白鳥3丁目
宮内庁の名称:応神天皇惠我藻伏崗陵(誉田御廟山古墳)の陪冢(ばいちょう)
備考:周囲には陪冢(ばいちょう)と推測できる5つの方墳(野中古墳、向墓山古墳、浄元寺山古墳、西墓山古墳、西馬塚古墳)が築かれています(西墓山古墳は現存せず、浄元寺山古墳は古市古墳群では3番目に大きな方墳)
津堂城山古墳|藤井寺陵墓参考地
墳丘長:208m
所在地:大阪府藤井寺市津堂
宮内庁の名称:藤井寺陵墓参考地(被葬候補者:第19代允恭天皇)/陵墓参考地=皇族の墳墓と推測されるものの、被葬者を特定する資料に欠ける陵墓
備考:河内平野に初めて造られた大王級の古墳で、大和から河内へと古墳築造が移った初期の大王の陵墓だと推測されています
軽里大塚古墳(白鳥陵)|日本武尊陵
墳丘長:190m
所在地:大阪府羽曳野市軽里3丁目
宮内庁の名称:白鳥陵(しらとりのみささぎ)=景行天皇皇子の日本武尊(やまとたけるのみこと=倭建命)の陵墓
備考:被葬者は不明で、古市古墳群では市ノ山古墳と同時期の5世紀後半の築造と推定されています
古市古墳群の巨大古墳 BEST7 | |
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