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南宮大社

天平11年(739年)、行基(ぎょうき)開基と伝わる美濃国(みののくに)の一の宮が南宮大社。平安時代編纂の『延喜式』神名帳にも美濃国内唯一の名神大社として記載され、仲山金山彦神社と称したとあり、古くは製鉄など金属精錬の神様を祀る社でした。関ヶ原の合戦で諸堂の大半が焼失していますが、江戸時代再建の18棟が国の重要文化財。

赤い楼門が印象的豪壮華麗な社は、美濃国一の宮

天平11年(739年)、行基が創建した象背山宮処寺(ぞうはいさんぐうしょじ)。
延暦年間(782年〜806年)、勅令で、最澄が宮処寺と南宮神社(現・南宮大社)と両部習合(神仏習合)しています。

天武天皇元年(672年)、壬申の乱(じんしんのらん)の際、大海人皇子(おおあまのおうじ=後の天武天皇)が美濃国一の宮であるこの南宮大社に祈願し、味方についた祀司が不破の関門を破ったのが戦勝への第一歩となったという伝承もありますが定かでありません。

南宮とは美濃の国府の南に位置する宮の意。
社殿の南西にそびえる南宮山(419m)はその御神体です。

明治維新までは神仏習合で、明治の神仏分離、廃仏毀釈で、神社を管理する神宮寺が分離移転しています。
当時の神宮寺の僧坊が、現在の朝倉山真禅院で、寛永19年(1642年)、徳川家光再建の三重塔(国の重要文化財)などは、神仏分離に伴って真禅院に移築されたもの。

垂井駅の北に位置する南宮大社の摂社・御旅神社の境内から美濃の国国府の正殿が発掘されています。
南宮大社の神輿(みこし)が、禊(みそぎ)の川渡りとして相川を越え御幸する古儀により、御旅所と呼ばれています。

美濃国府の南、あるいは古宮の南であったため、南宮大社と呼ばれることを考えても、国府(府中)を守護する古宮は摂社・御旅神社だったと推測できるのです。

南宮大社の主祭神は金山彦命 (かなやまひこのみこと)で、全国の製鉄を祀る神社の総本社ともいわれますが、伊吹山山麓では古代に鉱石製鉄が行なわれていたことがわかっています。

毎年5月4日には『御田植祭』、5月5日には神輿が通う『例大祭』、11月8日には『金山祭』という金属業の総本宮に座す祭神を讃える盛大な祭典が行なわれています。

楼門前の石輪橋は神様の渡る橋
境内社の樹下神社と隼人神社は国の重要文化財

南宮大社 3つのチェックポイント

美濃国の一の宮で製鉄など金属精錬の神様を祀る古社
徳川家光再建の重要文化財の社殿群が見事
摂社・御旅神社から美濃国国府正殿が発掘された!

南宮大社
名称 南宮大社/なんぐうたいしゃ
Nangutaisha shrine
所在地 岐阜県不破郡垂井町宮代1734-1
関連HP 南宮大社公式ホームページ
電車・バスで JR垂井駅から徒歩20分
ドライブで 名神高速道路関ヶ原ICから約7km
駐車場 50台/無料
問い合わせ 南宮大社 TEL:0584-22-1225/FAX:0584-22-1225
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

美濃国分寺跡

2018年1月27日

南宮御旅神社(美濃国府跡)

2018年1月27日

 

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