岐阜県大垣市にある中山道・美濃十六宿のひとつが赤坂宿(美濃赤坂)。中山道69次のうち、江戸から数えて56番目の宿場で、平安時代から鎌倉時代にかけては杭瀬川駅(くいせがわえき)、江戸から明治にかけては赤坂湊(杭瀬川の川湊で現在も宿場の東に湊の跡が現存)として栄えた交通の要衝です。
赤坂湊としても繁栄した中山道の宿場町
杭瀬川は、年間を通して水量が安定することから牧田川を経て揖斐川に出て桑名方面に連絡する舟運に使われていました。
その杭瀬川と中山道、谷汲街道が交わる交通の要衝が赤坂宿です。
舟運は大正8年の美濃赤坂駅開業まで続き、明治末から大正初期には名古屋を結んで月間350隻の船が往復していました。
赤坂宿の家並みは東西五町五間半(約600m)、南北七町(約750m)あり、往時には旅籠17軒が軒を並べた大宿で、宿場の中心にある四ツ辻は谷汲街道の分岐点。
脇本陣を中心に皇女・和宮の通行に際して建て直されたという古き家並みが残されています。
公武合体により、皇女・和宮が14代将軍・徳川家茂(とくがわいえもち)に嫁ぐ際、中山道を下向したため、赤坂宿は幕府からの十年債で54軒の家が新築されましたが、3年ほどで明治維新を迎えています。
地元「お嫁入り普請(ぶしん)」と呼ばれる幕末の建物が現存。
関ヶ原の戦で、徳川家康は東海道を上り、赤坂に岡山本陣を築き、東軍武将は一帯に陣を構えています。
慶長5年9月14日(1600年10月20日)、前哨戦となる杭瀬川の戦(くいせがわのたたかい)も行なわれ、局地戦ながら西軍が勝利を収めています。
このとき、徳川家康が戦勝祈願をした安楽寺などもあり、史跡巡りも楽しめます。
赤坂宿の西には、慶長10年(1605年)頃、徳川家康が上洛の往還に際して休泊のために設けた城郭形式の御殿、お茶屋屋敷の跡も残されています。
赤坂宿 | |
名称 | 赤坂宿/あかさかじゅく |
所在地 | 岐阜県大垣市赤坂町 |
関連HP | 大垣市公式ホームページ |
電車・バスで | JR美濃赤坂駅から徒歩8分 |
ドライブで | 名神高速道路大垣ICから約11.5km。または、関ヶ原ICから約13km |
駐車場 | 宿場の駅五七処駐車場(50台/無料) |
問い合わせ | 大垣市商工観光課 TEL:0584-47-8597 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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