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崇福寺

崇福寺

岐阜市にある14世紀末頃に創建、永正8年(1511年)、斎藤利匡(さいとうとしまさ)が再興した(開山は独秀乾才)臨済宗妙心寺派の寺、崇福寺(そうふくじ)。永禄10年(1567年)、織田信長が斎藤道三の孫の斎藤龍興を亡ぼし美濃に移ると織田信長の祈願所となっています。境内には信長の墓所「織田信長父子廟」もあります。本尊は延命地蔵菩薩、聖観音。

信長の墓所は本能寺の変の4日後に側室が建立を決定!

本尊は延命地蔵菩薩、聖観音で、美濃三十三観音霊場第十五札所。

本能寺の変の際、息子・信忠の位牌とともに、信長らの遺品もあわせて埋められたのが「織田信長父子廟」。
甲斐の恵林寺で織田信忠(おだのぶただ=信長の長男で岐阜城主、本能寺の変で自刃)に焼き殺され「心頭を滅却すれば火も自ずから涼し」の名言を残した快川紹喜(かいせんじょうき=武田信玄に招かれて甲斐国・恵林寺に)は、崇福寺3世です。

また本堂の「血天井」は、関ヶ原の戦いの際に落城した岐阜城の床板と伝承されています。
戦死した将兵の霊を慰めるため天井に張ったもので、付着した血痕も現存。

江戸時代に入ると、7世慶甫(きんぷ)玄賀と春日局(かずがのつぼね=3代将軍・徳川家光の乳母)は姻戚関係だったため、徳川幕府の庇護も受けています。
斎藤利匡像(国重要美術品)、信長の花押の入った禁制書、清洲城鯱瓦など寺宝も数多く収蔵。

ちなみに信長の廟所は数多くありますが(安土城二の丸跡、大徳寺総見院、本能寺、南宋寺、総見寺など)、信長の側室であった小倉鍋(お鍋の方=興雲院)が本能寺の変の4日後(天正10年6月6日)に「上(=信長)の位牌所」とする旨の書状を出し、丹羽長秀(にわながひで)に寺の警備を命じているから、まさに真の菩提寺。
10月第1土曜には『ぎふ信長まつり』にあわせて信長公追悼式が執り行なわれています。

崇福寺
名称 崇福寺/そうふくじ
所在地 岐阜県岐阜市長良福光2403-1
関連HP 崇福寺公式ホームページ
電車・バスで JR岐阜駅・名鉄新岐阜駅から岐阜市営バス長良さぎ山周りで20分、長良川国際会議場北口下車、徒歩2分
ドライブで 東海北陸自動車道岐阜各務原ICから約13km。または、一宮木曽川ICから約15km
駐車場 12台/無料
問い合わせ 崇福寺 TEL:058-231-2613/FAX:058-232-1320
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

岐阜市産業・農業祭~ぎふ信長まつり~|岐阜市|2024

2019年9月16日

 

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