岐阜県中津川市にあった中世から近世の山城が苗木城(なえぎじょう)。天文元年(1532年)、美濃国岩村城主・遠山景前(とおやまかげさき)の弟、遠山直廉(とおやまなおかど)が木曽川に臨む標高433mの高森山(通称:城山)に築いた遠山氏の居城。江戸時代には苗木藩の藩庁となった城で、石垣が現存し、続日本100名城にも選定。
見事な石垣が現存
藩政時代の面影をとどめている近世城郭として貴重で、国の史跡に指定。
本丸・二の丸・三の丸の石垣が現存しています。
天守はふたつの巨岩にまたがるように造られ、3層となった不思議なスタイルでしたが、現存していません。
本丸の自然石の穴太積み石垣は築城当時のもので、天守跡に天守展望台が築かれています(苗木城天守3階部分の床面のみを復元)。
天守展望台からは眼下に木曽川、中津川市街地、そして恵那山を一望にする絶景。
三の丸にある大矢倉の石垣、標高差150mを上る「四十八曲り道」(大手口道)も現存しているのでお見逃しなく。
城山の麓にある「中津川市苗木遠山史料館」では苗木城の歴史、藩政時代の苗木藩についてを詳しく知ることが可能です。
戦国時代から苗木藩立藩へ、苗木城激動の歴史
中山道と飛騨街道を押さえる要衝の地・苗木城は、木曽川を天然の濠(ほり)とし、突出した岩山や断崖を巧みに生かした天然の要害でした。
戦国時代には、織田家(尾張)と武田家(甲斐)との微妙な関係に影響され、永禄8年(1565年)には苗木勘太郎の娘(織田信長の養女)が武田勝頼に嫁いでいます。
天正2年(1574年)2月、武田勝頼の東濃侵攻で、苗木城も落城。
翌天正3年(1575年)には織田信忠(織田信長の長男)が岩村城を攻め落とし、東濃諸城を奪還。
天正11年(1583年)、金山城(現・岐阜県可児市兼山)の森長可(もりながよし)が苗木城に侵攻。
遠山友忠は城を脱出して浜松城の徳川家康を頼って落ち延びています。
さらに慶長5年(1600年)、徳川家康の命で、遠山友政は苗木城を攻略し、徳川家康から苗木領を安堵され、苗木藩が立藩(藩祖は遠山友政)。
歴代藩主は遠山家でしたが、小藩のため財政的な赤字で、幕末には財政破綻し、明治維新後に苗木城破却に伴う建材や武具などの売却で借金を返済しています。
名称 | 苗木城/なえぎじょう |
所在地 | 岐阜県中津川市苗木2799-2 |
関連HP | 中津川市公式ホームページ |
電車・バスで | JR中津川駅から北恵那バスで15分、苗木下車、徒歩20分 |
ドライブで | 中央自動車道中津川ICから約6km |
駐車場 | 苗木城跡第一駐車場、苗木遠山史料館駐車場(無料)を利用 |
問い合わせ | 中津川市観光課 TEL:0573-66-1111 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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