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海津市歴史民俗資料館

海津市歴史民俗資料館

岐阜県の伊勢湾近くの輪中地帯(集落を堤防でぐるりと囲んだ地域)に位置する海津市役所近く、城郭のような特異のフォルムで異彩を放つのが海津市歴史民俗資料館。それもそのはずで、藩政時代にこの地にあった(実際は資料館の1kmほど北側、海津明誠高校、城跡公園周辺)高須陣屋(高須城)をイメージして造られています。

海津藩の海津城をイメージした博物館

エントランス部分
復元された御館「御書院の間」

海津市歴史民俗資料館の脇を流れる昔ながらの大江川沿いには大名桟橋も復元されています。
大江川は長良川の支流で、藩政時代には長良川の舟運を利用していました。

ただし、高須藩に城があったのは江戸時代の前期のみ。
元禄4年(1691年)、時の藩主・小笠原貞信は水害が多いことを理由に越前国勝山藩に転封となり廃城となっています。
その後、高須藩松平家時代には、高須陣屋(たかすじんや)が藩庁になっていました。

館内には輪中地帯の歴史や生活を紹介するほか、3階には高須藩松平家の御館の一部を復元、高須松平家の歴史を解説しています。
高須松平家は、3万石の小藩ながら、御三家筆頭の尾張藩とは親戚関係(江戸中期以降は尾張藩の支藩)。

幕末に徳川家を守るために尽力した「高須四兄弟」
最後の将軍、徳川慶喜も親戚ですし、幕末の会津藩主の松平容保(まつだいらかたもり)も高須藩の出身(江戸四谷土手三番丁の高須藩邸で生誕)という名門。
第10代藩主松平義建の五男・徳川茂徳(とくがわもちなが)は、高須藩第11代藩主から尾張藩第15代藩主、さらに後には一橋家から徳川宗家を相続(第15代将軍に就任)した徳川慶喜に代わって御三卿一橋家当主となり、明治維新に際しては、徳川一族の総代となっています。
高須藩の第10代藩主・松平義建(まつだいらよしたつ)の子、徳川慶勝(尾張藩14代藩主)、徳川茂徳(上記)、松平容保(会津藩第9代藩主、京都守護職)、松平定敬(桑名藩5第藩主)の4人は、「高須四兄弟」と呼ばれています。
現在の徳川宗家は松平容保の末裔です。
高須四兄弟、左から定敬、容保、茂栄、慶勝/明治11年9月撮影
海津市歴史民俗資料館
名称 海津市歴史民俗資料館/かいづしれきしみんぞくしりょうかん
所在地 岐阜県海津市海津町萱野205-1
関連HP 海津市公式ホームページ
ドライブで 名神高速道路岐阜羽島ICから約14.5km、大垣ICから約16km。または、東名阪自動車道桑名東ICから約17.5km、弥富ICから約16km
駐車場 30台/無料
問い合わせ 海津市歴史民俗資料館 TEL:0584-53-3232/FAX:0584-53-3231
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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